一歩間違えば歌うことがトラウマになりかねないような経験が、合唱への熱意を燃え上がらせた。
斎藤さんは言う。
「本番を終えたみなさんが、涙を流して抱き合って、口々に『あんなに緊張したのにクセになりそう』って言うんですよ。仙台フィルと共演する目標を達成したことで完全燃焼して、そこで終わりになる可能性もあるかなと思っていたんですけど、これからも続けたいと言われたんです」
何が団員たちをその気にさせたのか。宗像さんはこう語る。
「共通しているのは亡くなった人たちのために歌いたいという気持ちです。私にとっては、合唱している間は現実を忘れて無になることができるんです。他のことを考えて合唱していると歌詞が出てこなかったり、他のパートと合わせられなくなったりしてしまう。歌うことだけに集中しなければいけませんから」
合唱団の結成から4年半。住宅の再建が進み、移転先での新たな生活が始まったことで団員は約30人に減った。しかし、あわただしさの合間を縫って練習にやって来る団員のモチベーションは高い。斎藤さんは少しずつレベルが上がってきていると感じている。
「元気にはっきりと発音すると子どもっぽくなってしまう。あくびをするときのような感じで発音すると大人らしい歌声を響かせられるとか、音程を意識して音の上げ下げをしっかりするなど、こちらが要求のハードルを上げても対応できるようになってきました」
毎年3月の公演に備え、レパートリーも十数曲に増えた。「花は咲く」「故郷」はもちろん、「知床旅情」「家路」「赤とんぼ」「見上げてごらん夜の星を」「あの素晴しい愛をもう一度」など、童謡や懐かしの歌謡曲が多い。
被災して大切なものを失ったという共通項で結ばれた仲間たちと歌うことで、生きる意欲を回復した宗像さんだが、「故郷」だけは長いこと歌えなかった。
「私はふるさとをなくしたのに、なぜ歌わなければならないのか、ずっと葛藤がありました」
震災の忌まわしい記憶が残る「ふるさと」に近づくことを避けてきた。だが、新たな出会いが過去を受け入れ、ふるさとに向き合うことを促してくれた。
「時が過ぎて、仮設や合唱団でこれからの人生に必要な人たちに出会えたのは財産なんだと思えてきました。何もかも流されて風景は変わってしまったけど、それでも私のふるさとじゃないかと考えられるようになりました」
宗像さんの心にふるさとがよみがえるまで7年の歳月が必要だった。今や「故郷」は「歌い継いでいきたい好きな曲になりました」。宗像さんはそう言ってほほ笑んだ。