東日本大震災の被災者だけで結成された合唱団がある。仙台市を拠点に活動する「みやぎの『花は咲く』合唱団」。60歳超の団員約30人が練習に励む。歌うことが、震災に打ちのめされた人たちを癒やし、新たな人とのつながりを生み出している。
3月3日、仙台市の宮城野区文化センターパトナホールに「花は咲く合唱団」のハーモニーが響いた。披露したのは「見上げてごらん夜の星を」など計5曲。ハイライトの「花は咲く」ではしっとりと、しかし力強さを感じさせる歌声が会場を包んだ。傷ついたふるさとや震災後の日々を思い出したのか、客席のあちこちで、目にハンカチを当てる聴衆の姿が見られた。
この合唱団は、2011年3月11日の東日本大震災で被災した人たちで結成された。14年春以降、毎年3月に公演をしている。
「合唱団に参加するうちに気持ちに余裕が出てきました。みんなと歌うのが楽しみ。今では私の生活の一部になっています」
そう語るのは結成当初から参加している宗像和子さん(66)。仙台市宮城野区の公共施設で月1~2回開かれる練習では、和気あいあいと仲間たちとの世間話に花を咲かせ、歌い方に自信がないところでは「もう一度練習させて」と率先してアピールする。
エネルギッシュな姿が印象的な宗像さんだが、合唱団に参加するまでは生きる意欲をなくし、狭いプレハブ仮設住宅の一室に閉じこもる生活を送っていた。
宮城野区の沿岸部にあった自宅は津波で流された。夫と三男を含む家族3人は全員無事だったが、基礎だけが残った自宅跡を見て絶望感に打ちひしがれた。
「これまで築いてきたものをすべてなくしてしまった。60年近く生きてきて、いきなりゼロになってしまったんです。命だけは助かってよかったと人に言われても、それをまったく喜べない。楽しかった思い出すら悲しく感じられるようになってしまいました」
同区にある弟のマンションに3カ月ほど身を寄せた後、近くにできた仮設住宅に移った。仮設住宅に知り合いはいなかったが、「これ以上迷惑はかけられない」と移転を急いだ。
「震災前から飼っていた犬に話しかけるだけの毎日を過ごしていました。誰にも会いたくないし、生きていることすら嫌だった」
18年間勤務したスーパーのパートも辞めた。
しかし、支援物資が届くたびに「取りにおいでよ」と周囲が声をかけてくれたことで、次第に自室を出て集会所などで近所の人たちと話をするようになった。