菊池選手の妹2人もショートトラック選手で姉妹3人で平昌五輪に出場したため、現地に応援に行った初恵さんは大忙しだった。

 五輪のリンクまでの遠い道のりに途方に暮れる日々も多かったという。

「電車の中でも英語表記が見つからず、どうすればいいのという感じでした。市民の方の乗る普通の循環バスに乗って、どこで降りればいいのか迷いました。スピードスケートの場合、競技が夜になって始まったので、終了し、会場を出るのが午後11時半頃になり、循環バスに乗って駅まで行っても、タクシー待ちに長い行列ができ1時間待ったこともありました」

 バスに乗ってこんなトラブルにも遭遇した。

「一度などは、会場からの帰りのバスに乗ったら、ぜんぜん関係のない海岸の近くで『終点ですよ』と下ろされてしまいました。行きも帰りも手さぐりの状態で観戦していました。帰国する2~3日前になったら、バスの中に英語表記を見かけるようになりました。もっと早くそうしてもらったらありがたかった」

 しかし、そんな苦労も菊池選手の金メダルで吹き飛んだ。菊地選手の父方の祖父も、スケートを愛し長野県の様々な選手を育てていた。3世代にわたる思いをかなえた瞬間だった。(本誌 上田耕司)

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