平昌五輪を2連覇した羽生結弦、金メダリストの荒川静香、ソチ五輪に出場した鈴木明子ら多くのフィギュアスケート選手を育てた名コーチの長久保裕さん(71)。昨秋に引退したが、仙台市で1988年頃からコーチとして教え始め、高校3年まで同市で過ごした羽生と出会った。
姉が習っているスケートリンクに一緒にやってきたのだ。そのリンクで4歳からすべり始めた羽生のコーチを長く、務めた。
「まだ子どもの頃の結弦は、体力がなく、ジャンプを覚えるのが遅かった。でも、すべり自体はきれいでどんどん覚えていった。試合になると、ジャンプは跳べなくても勝っていった。ジャンプは怖くてやらなかったので、ぶん殴ったことがある。他の一緒に入ってきた男の子たちがみんな2回転跳べるようになっても、どうしてもできなくて」
母親がいつも一緒に付き添っていたと記憶する。
「お母さんが毎日、練習前にリンクサイドで結弦の足を上げて、体をいじめてました。彼はビールマンスピン(片足を持ち上げながらのスピン)をやる。男の子でそんなことやるのはプルシェンコ(ロシア)くらい。彼はプルシェンコのマネをしたいので、からだを柔らかくするために、お母さんがやってくれていた。結局、母親が熱心な家庭の選手が強いですよ。荒川静香のところもそうだった」
平昌五輪フィギュアスケート男子個人で2月17日、羽生が金メダルをとった2日後の19日、長久保さんはLINEで、「金メダルおめでとうございます。右足しっかり治してください」とメッセージを送った。
次の日、羽生から「わざわざありがとうございました。いつかコーチングのことを教えてください。先生のとこ行きまーす」と返信があった。
「コーチのコツを教えてくださいということだと思うんですけども。私はスケート技術を秘密にしないで、何でも教えちゃうから」
長久保さんが国内のアイスショーで関係者席で観ていると、羽生は隣に座って、いろいろとアドバイスを求めてくるという。何のアドバイスを求めるのか?