悲しみの女/1912年 油彩/板 レオポルド美術館蔵/シーレが別の女性と結婚するまで、長年同棲していた恋人ワリーの肖像。頭の上にチラッと見える男性の顔のようなものは、ワリーに寄り添っていこうとするシーレの分身との説もある (c)Leopold Museum, Vienna
悲しみの女/1912年 油彩/板 レオポルド美術館蔵/シーレが別の女性と結婚するまで、長年同棲していた恋人ワリーの肖像。頭の上にチラッと見える男性の顔のようなものは、ワリーに寄り添っていこうとするシーレの分身との説もある (c)Leopold Museum, Vienna

「線を多く使うこと、画面に空白が多いことなど、シーレと日本画との共通点は多い。また日本に限らず、誰もがパソコンなどの画面に囲まれているのが現代。一方、シーレの世界には、人のリアルな肉体感覚があちこちにちりばめられています」

 また肉体だけでなく自我に対する意識や孤独感などを描き、戦争などに翻弄(ほんろう)されて破壊された人間ならではの価値を、絵を描くことで取り戻していったような作品も多い。

 レオポルド美術館のハンス=ペーター・ウィップリンガー館長が感じているのは、わずか10年余りの画家生活のなかで、シーレの作風が目まぐるしく変わったことだという。象徴主義から自然主義、またアール・ヌーヴォーや分離派などを駆け抜け、最後にシーレがたどり着いたのが「表現主義」という感情を表現する様式だった。

「装飾的で調和のあるアール・ヌーヴォーなどから一転、1910年を境にして攻撃的な表現主義の作品を描くようになった。自分は何かと問うなど、精神的な感覚に視線を向けたのです」

 クリムトが表層的に美しいものを生涯求めたのとは対照的に、シーレはさまざまな様式に手を染めては、もっともっとと別の様式を探求していったという。

「なぜか?ですか……彼が探していたのは、美しさというより、いわば“真実”。最後までそれが見つからなかったからでは」(ウィップリンガー館長)

 1918年、大流行していたスペイン風邪にかかった妊娠中の妻が死去。その3日後、自らもスペイン風邪が悪化し、天才画家はこの世を去った。戦争、コロナ、そして多くのパラダイムシフトが起きている現代。そのザワザワを、共有するなら今だ。(ライター・福光恵)


AERA 2023年2月20日号

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