辰吉丈一郎(たつよし・じょういちろう)(右)/1970年、岡山県生まれ。父・粂二さんの指導で5歳からボクシングを始める。中学卒業後に大阪帝拳ジムに入門。89年プロデビュー。日本最速タイの4 戦目で日本王座、当時日本最速の8戦目で世界王座(WBC世界バンタム級)を奪取。21歳で結婚。網膜剥離による引退危機を乗り越え、2度王座を奪回した。2008年に国内ライセンスを失効。所属ジムからは引退勧告を受けたが、現役続行の道を模索し、タイで2試合を行った。プロ通算28戦20勝(14KO)7敗1分け。辰吉るみ(たつよし・るみ)/1966年、大阪府生まれ。高校卒業後に家事手伝いをしながら当時珍しかった女性トレーナーを目指して大阪市内のボクシングジムに入門。21歳で夫と出会い、25歳で結婚。2男をもうけた。著書に『辰吉家 天下無敵の子育て』(ネコ・パブリッシング)、『無敵 わたしはリングに上がらない辰吉丈一郎』(ベースボール・マガジン社)がある。(撮影/写真部・小原雄輝)
辰吉丈一郎(たつよし・じょういちろう)(右)/1970年、岡山県生まれ。父・粂二さんの指導で5歳からボクシングを始める。中学卒業後に大阪帝拳ジムに入門。89年プロデビュー。日本最速タイの4 戦目で日本王座、当時日本最速の8戦目で世界王座(WBC世界バンタム級)を奪取。21歳で結婚。網膜剥離による引退危機を乗り越え、2度王座を奪回した。2008年に国内ライセンスを失効。所属ジムからは引退勧告を受けたが、現役続行の道を模索し、タイで2試合を行った。プロ通算28戦20勝(14KO)7敗1分け。
辰吉るみ(たつよし・るみ)/1966年、大阪府生まれ。高校卒業後に家事手伝いをしながら当時珍しかった女性トレーナーを目指して大阪市内のボクシングジムに入門。21歳で夫と出会い、25歳で結婚。2男をもうけた。著書に『辰吉家 天下無敵の子育て』(ネコ・パブリッシング)、『無敵 わたしはリングに上がらない辰吉丈一郎』(ベースボール・マガジン社)がある。(撮影/写真部・小原雄輝)
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 数々の伝説を残したボクシング界のカリスマ・辰吉丈一郎さん。そのボクシング人生は順風満帆なものではなかった。妻のるみさんとともに当時最速の8戦目で世界王座奪取した矢先、夫は網膜剝離を発症した。当時のルールでは引退だが、現役続行を強く希望。復帰は業界だけでなく社会問題にもなり、長い議論の末に特例として認められた。その時の妻の言葉は「私の目じゃない。好きにすればいい」だった。

パンツ丸見えの「ただいま事件」“浪速のジョー”辰吉丈一郎の妻はスゴイ!?よりつづく

*  *  *

妻:お前のためにやめるとか、やるとか、迷惑。だって、私のためやと言うなら、毎月決まった給料を持ってこいやって話やもん。

夫:尽くされたら重い。あんたのことやろって他人事のほうがいい。

妻:(ため息交じりに)あのね、私の言った言葉をそのままの意味で受け取らんといて。「あんたの目やん」っていうのを。素直やからそのまま取るねんなあ。

夫:純粋なんや。手術が終わったら視力0.02やったけど、いろいろ努力して0.5まで上げた。目のトレーニングとか調べて、緑を見て。大阪では星が見えないから岡山に帰って星も見た。1年半かかった。

妻:あの時は、めちゃ生駒山見てたな。信じる者は救われるねん。

夫:るみが嫁さんじゃなかったらこうなってないやろうな、世界チャンピオンにもなってないと思うし。人間って何かのズレから何もかもがワヤになる。

妻:私は関係ないよ。私が嫁じゃなかったら20回は防衛してると思うけどね。

――妻の職業は「辰吉丈一郎の妻」。それが二人の共通認識だ。夫は国内ライセンスを失効した今も世界挑戦を目指すと公言し、トレーニングを続けている。

夫:誰のためでもなく自分のため。自分のことをちゃんとできへん人間が、家族のことをどうこうするのはまず不可能やもん。

妻:目の時と一緒。あんたの人生やし。そう言わせるだけの努力はしてるから。何もしてなくて、やるやると言ってるんじゃない。

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