
新しい生き方を世に示し続けてきた作家の桐島洋子さん。作家の林真理子さんと桐島さんは、20年来のお付き合いで気心の知れた間柄。長女のかれんさんも同席され、わいわいと笑顔が絶えない中、お付き合いしてきた男性、そして亡き元夫の勝見洋一との特別な関係に迫りました。
* * *
林:文春をやめたあと、アメリカに渡って『淋しいアメリカ人』で大宅壮一ノンフィクション賞をおとりになったんですね。
桐島:あれは助かりました。
林:『聡明な女は料理がうまい』がベストセラーになって、ふつう貯金すると思いますけど、桐島さんは「海外で暮らすわ」とお子さんたちに宣言してアメリカにいらっしゃったんですよね。スケールが違います。
桐島:流産の出血多量で死にかかったりして、体が弱っちゃって。ぜんぜん違うところでやり直そうと思って、アメリカに行ったのね。それが成功でした。
林:書いた本がまたヒットして。
桐島:朝日新聞に連載した『マザー・グースと三匹の子豚たち』ね。
かれん:失恋したあとだったのね。ノーベル経済学賞候補だった人よね。青木(昌彦)さん?
桐島:そう。もうちょっと生きていればもらったでしょうね。
林:お子さんたちが部屋のドアを開けたら、お母さまのベッドに男の人がいたので驚いた、という記事が当時の週刊誌に載ってましたよ(笑)。
かれん:彼はジョン・レノンにそっくりだったの。
桐島:だから私、しばらくオノ・ヨーコと混同されていたの。すてきな人でしたよ。一緒に世界旅行したこともあるし、別れるなんて思わなかったけどね。
林:一緒に行ったイスタンブールで買ったお人形を、「別れるときどうしようか考えた」とエッセーで書かれていましたよね。なぜ青木さんと結婚なさらなかったんですか。
桐島:流産で死にかかったとき、彼の対応に不信を感じたのが始まりかな……。
林:そのあともいろいろ恋愛なさったんですよね。私が覚えているのは、クリスマスの日に当時の恋人を訪ねようとしたら、電話越しに家族の声が聞こえたので、帰ろうとしたときにホテルのフロントで勝見(洋一)さん(美術鑑定家・料理研究家・エッセイスト)と出会って……。