無論、毎年のように「石田姓」の選手をエースにすれば、必ず甲子園に出場するというものでもない。山本哲也部長は言う。
「実際に、10年ぐらい前に石田というピッチャーがいて負けた時代もありました」
それでも、東筑は伝説を信じた。そして、その不思議な力を実感した。山本部長が続ける。
「選手たちにとっては、『石田伝説』という話題があってよかったと思います。その流れの中で、また今年の夏、選手たちが一つになって伝説をつないでくれたことがよかった」
大会初日(8月8日)の第2試合。東筑は初戦で済美(愛媛)に敗れてエースは泣き崩れた。6四死球に10安打を浴びて10失点(自責点6)。試合直後の石田旭昇は「情けないです。自分の力が及ばなかった。球場の雰囲気にのまれて、自分が自分じゃないというか、本来の打たせて取るピッチングができなかった」と唇をかんだ。ただ、こうも語るのだ。
「この悔しさを忘れずに、これから一年間踏ん張って心身ともに成長し、またエースとして甲子園のマウンドに戻ってきたい」
福岡大会7試合を1人で投げ抜き、甲子園でも145球の熱投を見せた2年生エースは涙の奥でそう誓った。
石田伝説は、終わらない。(スポーツライター・佐々木亨)
※週刊朝日 オンライン限定記事