来年の100回大会に「石田伝説第5章」を紡ぐことを決意した東筑の2年生エース石田(撮影/馬場岳人)
来年の100回大会に「石田伝説第5章」を紡ぐことを決意した東筑の2年生エース石田(撮影/馬場岳人)
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 古豪や伝統校と言われる高校には、歴代OBが語りつなげる「伝説」がつきものである。

 たとえば、春夏通算20回の甲子園出場を誇り、全国制覇の経験もある銚子商(千葉)には、かつて「10年サイクル」と呼ばれるものがあった。夏10回の出場となった1985年、そして95年と2005年に出場したことで語りつながれた「10年周期での夏の甲子園出場」だ。とある東北地区の古豪と呼ばれる県立校には、同校の伝説的なOBにして監督も歴任した人物がグラウンドに姿を現した年は、甲子園に出場できる――。そんな言い伝えがあったと聞いたことがある。

 それらは偶然の産物か。振り返ってみて「そうだったね」という、不確かな要素が多分に含まれる場合が多い。ただ、そこに伝統校の深い歴史が刻んできたロマンを感じるし、高校野球に潜む、力勝負だけではない「見えない力」の存在を信じたくなる心情はよくわかる。

 この夏、21年ぶりに夏の甲子園に帰ってきた、1898年創立の東筑にも「伝説」がある。

 石田伝説――。

 エースが「石田姓」の時は甲子園に出場できる。石田義幸さんの1972年、石田大介さんの78年、そして前回出場の96年には石田泰隆さんがエースナンバーを背負って甲子園に出場したことから、その伝説は生まれた。

 今夏は福岡大会からその話題がクローズアップされ、実際にエース・石田旭昇(あきのり)を擁し、甲子園出場を決めた。78年に石田大介さんとバッテリーを組み、96年には母校の指揮官として甲子園の土を踏んだ青野浩彦監督ははっきりと言う。福岡大会を戦う中で、今年の夏は石田伝説によって甲子園に出場できるという「予感めいたものはなかった」、と。ただ、その言い伝えに「乗っかっていければいいかなとは思った」とも言う。激戦の福岡だ。公立校の夏の甲子園出場は、96年の東筑以来、遠ざかっていた。さらに今年は、春の選抜大会で8強に進んだ福岡大大濠が優勝候補と呼ばれていた。目の前にあった現実を考えれば、青野監督が言うように伝説に「乗っかりたい」というのは本音だったのだろう。

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