夫:高校のころには国際公務員になりたかった。世界中の人と交流できる国連の職員に憧れてたんです。
妻:それはまた……。
夫:まずは法学部に入って、そこから挑戦しようと中央大学法学部の通信制に入った。で、校外スクーリング(講座)が、たまたま沖縄であったんだけど……。
妻:どうだったの?
夫:白い砂浜に波がザザーッて打ち寄せるビーチで、夕日を浴びながら……。「俺には法律も国連も無理だーっ!」と。
妻:カウボーイはもっと無理でしょう!(笑)
夫:父が、映画好きだったんでしょうね。小さいころ、毎週のように映画館に連れていってくれた。それを思い出したら、たまらなく映画の仕事がしたくなって。
妻:それで俳優。
夫:今だったら映画にまつわるいろんな職業があることもわかるんだけど、当時は、映画=出演、としか思えなくて。それで劇団青年座に応募して入ったの。
妻:それにしても、まったく違う世界に飛び込んで、よくなじめたね。
夫:これが夢を追いかける最後のチャンスだと思ったんだよ。浪人して、予備校にも通わせてもらった。これ以上、親に負担はかけられないと思って。
妻:最後のチャンス? その時いくつだったの?
夫:23。
妻:早っ! でも、それで思い出した。私も欽ちゃん劇団で言われたの、欽ちゃん(萩本欽一さん)から。
夫:何て?
妻:「やりたいことと向いてることは違うことが多いから、まず自分に向いてることをみつけなさい」って。それまで、コントの稽古とかイヤだったんだけど、その言葉をもらってから、まずは何でもやってみようと思うようになった。
夫:なるほどね。
妻:一つだけセリフをもらって、舞台に出てきてそれを言ってみろと。何の脈絡もないの。とにかくやってみると「違う!」と。何が違うんだかわからずに戸惑ってると、「困った顔されても、困るんだよ」って。
夫:厳しいね。
妻:「本番中、困ったって顔するの? それじゃ済まないでしょ」って。今ならその意味もわかるんだけど、当時まだ10代。夢中で、手探りの日々でしたね。
※「文春も完全ノーマーク! はしのえみ"密会デート"秘話」につづく
※週刊朝日 2017年6月2日号