「番所築地市場長が、築地は豊洲へ移転しなければならないという趣旨の話をあちこちで吹聴していたので、『市場長の立場で言うべきことではない』とクギを刺した覚えがあります」
番所氏を直撃したが、「もう引退させて頂いておりますから」と語るのみだ。
長年にわたって築地市場移転問題を取材しているジャーナリストの池上正樹氏もこう話す。
「都は市場の人たちには内緒にしたまま、港湾局主導で調査や交渉が行われていたのです。95年7月に臨海地区を調査し、8月に初めて豊洲の名が移転候補地の一つとして挙がったのです。築地再整備と並行して、移転先が模索され始めた。しかし、そもそも臨海再開発失敗による財政悪化で、築地を売却して移転させるしかなくなったのです」
都が臨海地区の調査を始めたのは、石川氏が港湾局長だった時と重なる。
ところが、都が秘密裏に進めていた豊洲への移転の調査や交渉が、市場の卸、仲卸など業者たちの知るところとなる。
寝耳に水の話に、業界6団体は態度を硬化させる。対処に当たったのは、番所氏の後任の市場長の宮城哲夫氏だった。
「豊洲は40ヘクタールもあって広いし、いい場所を見つけたと思った。だけど市場の卸とか仲卸の組合は理事長が推進派か反対派かで、方針が変わるんです。私の時もまとめ切れなかったですね」(宮城氏)
都が改めて、各業界団体に意思の確認をしたところ、移転推進派と反対派に真っ二つに分かれた。
都は一転して「現時点で移転可能性は極めて困難」と判断せざるを得なかった。
01年、千代田区長選出馬を控えた石川氏は内田事務所に立ち寄り、市場関係者に悔しげにこう漏らしたという。
「(豊洲移転を)番所(市場長)の野郎がベラベラしゃべっちゃったからダメになったんだ」
内田氏と蜜月だったころのエピソードだが、いまや石川氏は内田氏と袂を分かって敵対関係にある。(本誌・亀井洋志、上田耕司、小泉耕平)
※週刊朝日 2017年2月17日号より抜粋