落語家・春風亭一之輔氏が週刊朝日で連載中のコラム「ああ、それ私よく知ってます。」。今週のお題は、「温泉」。

*  *  *

 大人のくせに熱いお湯が苦手だ。敏感肌。温泉に行っても、たいがい湯の温度に我慢できず、3分もつかっていられれば御の字という体たらくである。

 湯船の縁に胡坐(あぐら)をかいている時間が長く、なんかもったいない。湯船につかっている人たちの目線の高さに、私のまたぐらがあるのもなんか申し訳ないし。

 我が子のほうが熱さに強く、

「なんで入んないのー?」

 と言いながら、尻をプカプカ浮かせている。「熱いのダメなんだよ!!」と打ち明けるのも悔しいので、「温泉監視員だ!!」と取り繕う。

「へへーん。ここまでおいでー。ぷー」

 と言いながら、長男と次男の二つの尻が対岸へ流れていくが、熱いので追いかけられない。親父の威厳が薄っぺらなことこの上ない。

 無理して入って、身体をのばしたり開いたりすると、熱い湯が隅々まで染みてくる。“体育座り”をしながら、石になったつもりで、ひたすら耐えるのみ。

 そこまでして温泉に行かなくてもいいじゃないか?と思うかもしれない。でも温泉は好きなのだ。一日中浴衣を着て、ゴロゴロして、飲んだり食ったり、3分だけお湯につかったり。熱いお湯がネック……。

 実は知人の紹介で、めちゃくちゃ「ぬるい温泉」を見つけた。「ここはぬるいよ~」と言われたが、温泉のオススメ文句としてはいかがなものか。

 新潟の山あいにひっそりと佇む某温泉。湯の温度がだいたい37~38度。体温よりちょっと温かいくらい。入ってみるとこれが滅法ぬるい! 体温ってこんなにぬるいのか!!

 ぬるいのを承知で入ったのに「なにこれ、ぬるっ!?」と口にしてしまうくらいのぬるさ。熱いのが嫌いな私も「ちょっと追い焚きしてもいーんじゃない?」と思う。勝手だね。

 でも、これがずーっと入っていられる。30分は楽勝だ。熱いお湯もあるので、仕上げに3分も入るとますます効果的だ。

 
 気に入った。去年の暮れにも家族で行ってきたばかり。相変わらずのぬるさ。盤石だ。のんびりつかっていると、なんにも知らない日帰り温泉客が「なんだこりゃ!?」と困惑顔。

「いやいや、これがいいんだよ。素人め……」

 何食わぬ顔でぬるい湯につかり続ける。ぬるすぎて寝てしまった。軽く1時間。露天もちょいぬる。30分ずつ入り分ける。

 胎児に戻ったような心持ちでプカプカ浮く。人肌だから羊水も同じくらいの温度だろうか。

 そうか、胎児は生まれる前からこんなに気持ちいいものにつかってるのか。悔しいな。たいした稼ぎもないくせにいいお湯につかって、へその緒から上げ膳据え膳で栄養をもらって。

 こんないい所から無理に引っ張り出されたら、そら泣くわな。これから世間の荒波に揉まれると思ったらつらかろう。赤ちゃんは大変だな。温泉から出てもビールも飲めない。大人は「つらい」とか言いながら、ビールが飲める。いつも頑張ってるご褒美に神様が大人に与えたのがビールなんだ。そうだ! 上がってビールを飲もう……。

 そんな思考を経由して、ようやく上がることのできる、それだけずーっと入っていたい、ぬるい温泉。

 ビールがなければ危うく胎児になるところだった。

週刊朝日  2017年2月3日号

著者プロフィールを見る
春風亭一之輔

春風亭一之輔

春風亭一之輔(しゅんぷうてい・いちのすけ)/落語家。1978年、千葉県生まれ。得意ネタは初天神、粗忽の釘、笠碁、欠伸指南など。趣味は程をわきまえた飲酒、映画・芝居鑑賞、徒歩による散策、喫茶店めぐり、洗濯。この連載をまとめたエッセー集『いちのすけのまくら』『まくらが来りて笛を吹く』『まくらの森の満開の下』(朝日新聞出版)が絶賛発売中。ぜひ!

春風亭一之輔の記事一覧はこちら