私は報知新聞社の記者だった十数年前、大阪・読売テレビの情報番組で数年間、コメンテーターとして梨元と共演していた。当時、私は20代の駆け出しだったが、梨元はすでに大ベテラン。親子ほど年齢が離れた私を鯨料理店や和食店などに誘ってくれ、食事をともにしながら、

「テレビ局から高額なギャラをもらって結婚式を中継していながら、離婚や不祥事のときは逃げるような芸能人は絶対におかしい。つらいときにキチンと取材に応じる人なら本物ですよ」

 と、熱っぽく説いた。

 そうした信念に基づく仕事ぶりは、取材先の厚い信頼を得ていた。その後も大物男性歌手の結婚や、人気女優の離婚情報などをスクープし、晩年まで存在感を示し続けた。

 取材対象に厳しい質問を浴びせる一方で、若手思いのやさしい一面もあった。

 2002年、俳優の杉浦太陽が大阪府警に傷害と恐喝の容疑で逮捕されたとき、私は“被害者”が偽った内容の被害届を出したことによる「誤認逮捕」であることを独自につかんだ。

 所属事務所の社長に電話をした際、こんなやりとりがあった。

「マスコミは、太陽君が悪者だと散々うそを書いた。あなたの取材にも応じない」

「誰だったら、信じて取材に応じますか」

「梨元勝さんだけ。あの人は所属事務所の大小や力関係で、芸能人の扱いを変えない。他の人は信用できない」

 私は、すぐさま梨元の携帯電話を鳴らし、泣きついた。梨元は「事情はわかった。そういうことなら力になりましょう。ちょっと待っていてください」と、協力を約束してくれた。

 約10分後、事務所の社長から私に連絡があり、「梨元さんから、あなたのことは信用できると聞いたから話す。逮捕容疑の当日、杉浦は大阪から離れた場所で撮影があり、そもそも現場に行けるはずがなかった」と、丁寧な説明を受けた。

 私は府警に通告のうえ、翌日の朝刊で特ダネ記事を書いた。勾留されていた杉浦は数日後に釈放され、不起訴処分になった。あのスクープは、梨元の力を借りなければ絶対に記事にできなかった。梨元にしてみれば、新聞に載る前に「自分がつかんだネタ」として先に発表することもできたわけだが、そんな不義理なことはせず、私に花を持たせた。ありがたいことに、その社長と私は、今でも付き合いが続いている。

 梨元の真骨頂は、癒着や、圧力に屈することへの嫌悪を、はっきりと口にし、態度で示したことだった。ドラマやバラエティー番組も制作するテレビ局としては、ワイドショーの放送内容で、有力タレントを抱える芸能プロダクションとの関係を悪化させたくない。梨元は、制作側から「あの事件や、あの所属事務所のタレントについては発言を控えてほしい」などとたびたび求められ、そのつど「視聴者が興味を持つ話題なのに、自主規制するのはおかしい」と降板を申し出た。

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