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 芸術家として国内外で活躍する横尾忠則さんの連載「シン・老人のナイショ話」。今回は、公開制作について。

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 45歳で、グラフィックデザイナーから画家に転向したが、アトリエがなかったので、美術館の空いたスペースがあれば、貸してもらえないかと頼んだところ、公開制作というイベントにしてもらえれば可能だといわれた。人前で絵など描いたことがないので、とまどったが、絵が描けるなら仕方ない。そんなわけで、どこへでも出掛けて絵を描くことになった。

 公開制作はまるで舞台で演じる役者と観客の関係に似ているが、役者は台本に従って演技という表現を観客に見せる職業で、僕は役者でもなければ描く姿を表現したいわけでもない。絵を描くための美術館側の条件に従っているわけだから、見せ物ではないが美術館は人を集めて見せ物にしたいのである。

 まさか画家に転向すると同時に人前で絵を描く羽目になるとは想像だにしていなかったが、観客の前に肉体を晒すことで絵を描かなければならなかったのは、大勢いる画家の中でも見せ物になって絵を描くことからスタートしたのは恐らく僕ぐらいじゃないかな。最初は非常に屈辱的な気分を味わわされたが、画家の道を選んだ以上運命に従うしかない。

 僕はオーケストラの指揮者同様、観客に背を向けたまま、タクトを筆に変えて、大きいキャンバスに叩きつけるのである。僕の背後の観客は、固唾をのんで僕の一挙手一投足を見守っている。静寂の中で僕の息づかいと筆の走る音だけが自分の耳に入る。芝居のように台本があるわけではない。アトリエで描くのなら、キャンバスから離れ、腰を掛けて、絵の進行具合をじっくり眺めながら、時には冷蔵庫をあさりに行ったり、トイレに用をたしに行ったりするのだが、観客の前では、そんな勝手な日常の行為は許されない。

 観客は、まるで目の前で起こりつつある「事件」のなりゆきを目撃しているようである。筆を置いて立ち止まることも許されないほどの緊迫した雰囲気が背後から暗黙のうちに伝わってくる。観客の緊張がそのまま僕の肉体に食い込んでくる。

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