「仕事が一段落し、遅れて花森さんが食堂にやってきたのですが、いただきものの“きんつば”を、既に皆で分けて食べてしまっていたんです。そしたら、花森さんは、『僕のきんつばはどうした!』と怒りだした。こんな時、花森さんは気取らず子供みたいに本気で怒り、皆で唖然としちゃいましたけど(笑)。のちに、“僕のきんつば”事件と呼ばれ、おもしろかった」(同)
さらに、週に一度、社交ダンスを習う日や、年に一度の豪華な社員旅行もあった。花森氏は「編集者たる者、一流のものを知らなければいい記事は書けない」と言い、伊豆、神戸、京都などの有名な旅館やホテルに宿泊。家族のような会社だったという。
高度成長期に次々と新製品が出た家電などの「商品テスト」は雑誌の目玉企画の一つになった。だが、はやるにつれ、雑誌を“お薦め商品ガイド”とみる読者も増えていたという。
「花森さんは、『商品テストを売りモノにしてはダメ』と言い、戦後焼け跡の中から生まれ、自分の暮らしを大事にする『暮しの手帖』の原点にかえろうと、一冊まるまる戦争特集をすることになりました」(同)
それが、1968年に発行された96号だ。戦争を体験した人たちから寄せられた文章で構成され、普段よりも早く売り切れた。
「ファッションや料理など、生活のことばかり載せていた雑誌が、一冊すべてを戦争中の暮らしの記録にすることは、大きな挑戦でした。初めに本屋さんを回ると『一体、どうしちゃったの』『もう戦争は嫌だ』と、店員さんに怒られてしまった。理由を説明すると納得してもらえたのですが」(同)
この特集は、人々が戦時中に、何を食べ、どんな日常を送っていたのか、記憶が薄れてしまわないうちにとまとめたもので、掲載の1年ほど前から募集した。「文章を書いたのは初めてという投稿もありましたが、切実とした思いが書かれていて、非常に印象に残っています」(同)
徴兵経験があり、かつて大政翼賛会宣伝部に属した花森氏なりの“贖罪”だったのかもしれない。NHK関係者は、「ドラマはあくまでフィクション」と言うが、前出の碓井教授はこう話す。
「天才といわれた花森さんの編集術や、雑誌作りは今作の大きな見どころ。現在も続く名物雑誌を生み育てた鎭子さんだからこそ、今後の展開に関心を持ち、視聴率が上がっていく可能性が高いですね」
今後の展開も目が離せない。(本誌・牧野めぐみ)
※週刊朝日 2016年6月10日号より抜粋