――那須から戻った後、天皇は宮内庁病院で開腹手術を受ける。きっかけは伊東さんの進言だった。

 侍従、侍医、女官が集まる機会があったので、その場で「陛下は胃の病気で、何とかしなければなりません」と医師としての意見を伝えました。精密検査を行うと、十二指腸が数センチにわたって、針の穴ぐらい細くなっていました。がんが原因であることは間違いなく、手術の必要性が明確になったのです。侍医長が進言すると、陛下はひと言「医者に任せる」と。陛下の手術がこれほどすんなり決まるとは思ってもいませんでした。

 手術に要した時間は3時間30分。術後15日目に退院され、その後1年間は侍医や看護師が交代で寝ずに介護にあたりました。

――88(昭和63)年、8月の全国戦没者追悼式に出席した翌月に天皇は大量に吐血。国内が「天皇陛下、ご重体」という報道で騒然となった。

 御座所に呼ばれて伺うと真っ赤な血を吐き、下血もされていました。震えながら始末をしていたら、陛下が「伊東、今日は満月だよ。その障子を開けてご覧、きれいだ」と言われました。まるで首から下は自分ではないような、そんな感じでした。床に伏せている陛下がなぜこの日が満月ということをご存じなのか。最近になって、仕奉人(つかまつりびと)さんが大きな鏡を持ってきて、月をお見せしていたことを知りました。

 陛下には病名を告知していません。現在の天皇陛下はどんなご病気も告知を受け、それを包み隠さず国民に公表されていますが、当時は違いました。それで侍医長と議論もしました。私は告知すべきと思い、「迷いのないお心であるから告知してもいいのではないか。ひと言この世に残しておかれたいお言葉があるのではないか」と伝えました。

 結局、陛下に病名が伝わることはなく、陛下からも問いはありませんでした。ただ、あれほどの症状がおありでしたから、病状は理解されていたと思います。

――同年大晦日。天皇の呼吸が止まる。その日の当直は伊東さんだった。

 以前からすでに意識はなく、輸液と輸血でコントロールされていました。陛下の呼吸が止まって「昭和64年は来ない」と思った、そのときです。看護師が陛下の胸をタンタンとたたくと、呼吸が戻ったのです。ちょうど昭和64年が明けたところでした。それから1週間、延命されました。

 1月7日午前2時。自宅で待機していた私に、呼び出しがかかりました。皇太子同妃両殿下(今上天皇と美智子皇后)、常陸宮両殿下、竹下登総理(当時)が見守るなか、心電図のモニターがツーッとまっすぐになりました。侍医長がまず陛下に頭を下げ、それから皇太子同妃両殿下に頭を下げました。「すべてが終わった、昭和が終わった」と思いました。

週刊朝日 2016年4月29日号より抜粋

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