奇跡的に一命を取りとめ、後遺症もなかったが、「人って簡単に死んでしまうんだ」「積極的に何もしないまま死んでしまって、後悔はないのかな」と、考えたという。
もともと「石橋をたたいて壊す」ほど慎重な性格の秋山さん。事故前、メイクを学べると聞いてミス日本コンテストに申し込んだものの、「目立ちたくない」と、地区大会を前に辞退も考えていた。だが、生死の境をさまよう経験で、考え方は百八十度変わった。
「事故前は、失敗はよくないと、無難な選択をしがちでした。でも、自分の思うようにやればいい。それで失敗しても、吸収して成長すればいいんだと、積極的に取り組めるようになったんです」(同)
“新生・秋山果穂”は、事故から約5カ月後の15年1月、ミス日本コンテストで準ミス日本に輝いた。秋山さんは当時を振り返ってこう話す。「全然自信はなかったし、水着審査は恥ずかしかった! でも、知らない世界に飛び込む楽しさと大切さを知ることができました」
※週刊朝日 2016年3月25日号より抜粋