東日本大震災に伴う福島第1原子力発電所の事故発生から5年を迎える。現場を訪れたジャーナリストの田原総一朗氏は、原発作業員の必死な姿に心を動かされたという。

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 東京電力福島第一原発の現状を取材した。深刻な事故を起こして5年になる。

 常磐線のいわき駅まで特急列車で行き、バスに乗り継いだ。途中、葉町と広野町のサッカー施設「Jヴィレッジ」で東電側から現状の概略を聞き、そこからは東電が用意したマイクロバスで原発に向かった。国道に沿って富岡町、大町などが並んでいたが、いずれの町も人影はない。国道沿いにコンビニやラーメン屋、ファストフードの店などがあったが、いずれも閉じられていて、地震と津波で無残に半壊したままの店もあった。人口7千人の楢葉町は、400人ばかりの住民が帰ってきているということだったが、人影はなかった。

 1976年の夏、私は楢葉町や大熊町に取材に来たことがある。当時、原発は日本の未来を開く夢のエネルギーだと、政府も電力会社もメディアも喧伝していて、楢葉町や大熊町は、その先端を走る輝ける自治体だった。実は、私は原発という先端技術にそれゆえの不安を抱き、夢のエネルギーの危うさを取材していたのだが、地元の住民たちはそのような不安はまったく持っていなかった。もちろん、東電や県、そして政府が「絶対安全」という太鼓判を押していたからである。あれほど信頼しきっていた地元の住民たちを裏切った東電の責任は重い。

 だが、原発構内で働いている東電社員たちは、いずれも、その責任の重さ、罪の深さを十二分に感じ取っているようであった。

 
 現在、福島第一原発では、東電社員以外の人々が7千人以上働いている。ほとんどが、いわゆる単純作業で、それも事故処理という夢の持てない仕事だ。だが、これは予想外だったが、2次下請け、3次下請けのどの作業員も、自分たちの仕事に誇りを持ち、前向きに取り組んでいるのである。

 何人もの作業員と話をした。誰もが作業の重要性を認識していた。東電の現場社員たちが、彼らと日常的に話し合い、作業の重要性を懸命に説いていることがよくわかった。

 事故処理自体は、まだまだめどがついていない。汚染水を処理しても、放射性物質のトリチウムを除去しない限りは海に放水できず、貯蔵タンクは増えるばかりである。アメリカやイギリスではトリチウムを除去しないまま海に放水しているのだが、福島では地元の漁協の承認を得られていない。

 さらに問題なのは、廃炉作業を始める前に、原子炉の中の燃料デブリを取り出さなければならないことだ。燃料デブリが原子炉のどこでどんな状態になっているのか、まったく見当がついていないのだ。そのことを確かめるためには、原子炉の中に入って燃料デブリを確かめるロボットが必要なのだが、その開発のめどが、まだ立っていないのだ。

 事故処理の見当はついていないのだが、現場の東電社員たちは、誰もが真剣、というより必死だった。

 東電社員は福島に何人駐在しているのかと聞いた。常時1800人だという答えが返ってきた。のべ人数では、5年間で東電の全社員が1人5~6回、福島に駐在した計算になる。住民たちを足しげく回って、怒りや不満などを時間をかけて聞いているということだ。事故から5年が経ち、「東電は許せないが、君らは信用できる」と言われるようにもなってきた、ということである。

週刊朝日  2016年3月18日号