田中さんはこの日も、沼口院長に先立って小川さん宅を訪ねていた。
「心の痛みや苦しみを抱える患者、家族に傾聴と祈りを基本としたケアをするのが私の役割です。死を意識した患者さんの多くは『自分は死んだらどうなるのか』という不安を感じています。それに対し、私たち宗教者は、死や死んだ後の世界について語り、そばに寄り添うことができます」
田中さんは週に3~4回、小川さんの元に通い、息子に先立たれた悲しみや先行きへの不安など様々な言葉に耳を傾けた。生と死、魂について語り、仏壇の前で読経もした。
小川さんは今、時折ベッドから出て仏壇に手を合わせ、田中さんと一緒にお経を口ずさむこともある。この日も仏間で沼口院長の診察を受けながら、昔話を語り、笑顔も見せていた。
「今でも夜などにかなり落ち込むようですが、以前よりは随分よくなった。田中さんのケアで癒やされ、心が安らいでいる感じですね」
沼口院長も寺に生まれ、自身も僧籍を持つ。医師と宗教者という二つの立場を理解する者として、終末期や看取りなど死にかかわる医療介護の現場に宗教者が介入する意義は、決して小さくないと考えている。
臨床宗教師の原型は、米国などで活動する「チャプレン」と言われる。
チャプレンは病院や軍隊、警察、消防、学校などに配された聖職者で、礼拝や儀式のほか、人々の悩みを聞いたり相談に乗ったりする。家族や友人を亡くした人に対するグリーフケアも重要な役割である。
チャプレンはキリスト教が基盤だが、仏教にも同じような役割を担う人たちがいて、ビハーラ僧と呼ばれる。一方、臨床宗教師は、特定の宗教を想起させることを避け、様々な現場で宗教的な心のケアをする人の名称として生まれた。
きっかけは東日本大震災だった。震災後、全国各地から僧侶、牧師、神職らが続々と被災地に入り、遺体の安置所や海岸などで祈りを捧げた。心の相談室やカフェ・デ・モンク(※2)など、心のケアをする活動にも取り組んだ。
臨床宗教師は、そうした宗教者たちと、宮城県名取市で長く在宅緩和ケアに努め、震災時には宗教者の活動を支援した故・岡部健医師の思いが結実して誕生した。
※1 スピリチュアルペイン/終末期患者の人生の意味や死への恐れなど、死生観をめぐる悩みに伴う苦痛のこと。世界保健機関(WHO)による緩和ケアの定義の中で、身体的な苦痛などとともに、軽減に努めるべき苦痛の一つとされている。
※2 カフェ・デ・モンク(Cafe de Monk)/宮城県栗原市の僧侶、金田諦應さん(臨床宗教師)が中心となって運営する傾聴移動喫茶。かつては被災地の避難所や仮設住宅で開催されていたが、今では各地に広がっている。
※週刊朝日 2016年2月19日号より抜粋