
2千年の歴史を持つ長宗我部家。17代当主・長宗我部友親はその偉大さに感服する。
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いまでも胸が痛む思い出がある。
母親との中学生のころの会話である。
「それじゃ産まなければよかったじゃないか。別に頼んだわけじゃないし」
一瞬、母親は言葉をのみ込んでうつむいた。そして、サンマを焼いていた七輪の前にしばらくしゃがみ込んでいた。何が原因でそんなことを言ってしまったかは思い出せない。
ポーランドの詩人、ヴィスワヴァ・シンボルスカのある詩の中に、
「始まりはすべて 続きにすぎない」
という言葉がある。
私が思うに、自分の前には父や母や、祖父など多くの人々がいて、現在の自分がいる。決して人が突然この世に出現するということはない。そして、その後にも人の系譜は続いていくのである。
長宗我部家は2千年、70代を超える歴史を持っている。
ということはその時代時代に当主がいて、いろんな思いをして、次の世代に繋(つな)いできているのだ。
私の『長宗我部』(文春文庫)を読んで、ある人が「秦の始皇帝から始まるなんておかしいよ」と言ったそうだ。
そう思われるのもわからないではない。
しかし、例えば長宗我部元親は、父である国親から「長宗我部家は秦の始皇帝の末流である。南海道といわれる紀伊、淡路、阿波、讃岐、伊予、土佐の六カ国、さらには九州全域の主と仰がれよ」との遺言を受けた。そして、土佐から発して、四国全域に侵攻していった。
秦氏という姓を誇りにして、その名を汚さないようにという思いを、繋いでいったのである。「長宗我部宮内少輔秦元親(ちょうそがべくないのしょうほうはたもとちか)」が元親の正式名である。それは元親だけではなく、例えば能芸論の『風姿花伝』を著した世阿弥も秦元清と秦姓を名乗っている。