亡くなる前日には薄切りのローストビーフを3枚たいらげたという (c)朝日新聞社 @@写禁
亡くなる前日には薄切りのローストビーフを3枚たいらげたという (c)朝日新聞社 @@写禁
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 戦後70年、自らの体験を通して、戦争の悲惨さや生きる意味を問い続けてきた、作家の阿川弘之さん(享年94)が、老衰のため8月3日、この世を去った。

 広島市生まれ。東京帝国大学(現東京大)文学部を繰り上げ卒業後、予備学生として海軍に入隊。中国戦線に赴く。同期の学徒兵の2割は命を落とし、漢口で終戦を迎えた。捕虜生活の後に復員し、故郷の惨状を目のあたりにした。

 作家の志賀直哉に師事し、復員体験をつづった「年年歳歳」を1946年に発表。52年『春の城』では海軍予備学生たちの青春を、54年『魔の遺産』では原爆の後遺症に苦しむ人々を描き、戦争の姿を伝え続けた。

 阿川さんが2005年から名誉館長を務めていた「大和ミュージアム」(広島県呉市)の戸高一成館長(67)が言う。

「『戦争自体は認めることはできないけれども、国のために命をささげた人たちのことは忘れない』とおっしゃっていたように、仲間への思いが強かった」

 戦争を批判するのではなく、そこに生きた人間像を描くことにこだわった。

 吉行淳之介、遠藤周作ら、戦後文壇に登場した新人作家とともに「第三の新人」と呼ばれた。その一人で、親交の深い三浦朱門さん(89)のもとには、「終活」を思わせるような連絡があったという。

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