作家・北原みのり氏の週刊朝日連載「ニッポンスッポンポンNEO」。カフェで偶然耳にした話から、こんなことを感じたという。

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 カフェにて。10人も入ればいっぱいの小さな店内に、大きな声で話している先客の男女がいた。気にせず席について、本を広げて読み始めたのだけど、会話のほとんどが女性の一人語りで、声が大きい。いやでも耳に入ってきてしまう。

「要するに、私は人生から逃げたくないの。それは負けることだから」

「勝たなくてもいい。ただ、負けるとわかっている道を歩くべきではないと思う」

 20代後半くらいだろうか。本のタイトルにありそうな会話よね……と思いながら、ときどき男の人が、「でかしたな」と意味不明なあいづちを打っているのが気になってしまう。コーヒーを飲む手が止まり、というか、開いた本の中身がぜんぜん頭に入ってこない。

「そもそも、クッキーは、人生の手段で、目的じゃない。伝えたいことがあるから、私はクッキーを焼いているの」

 どうやら、お菓子屋さんに勤めているようである。

 
「人が物を食べる、それは大地からの恵みを口に入れるということ。その大切さを気付いてほしい」

 クッキー一枚に色んな思いが込められているんだなぁ。うかつにクッキー食べられなくなるなぁ~と、目の前に置かれたモンブランを見つめる。客は彼女たちと私しかいない。

「だけど、最近、クッキーを並べてると、涙が出てくるんだ」

 どうした?

「どうして?」(男)

「最近、クッキーが、お金に見えてきた」

「私はクッキーで感動を与えたいのに!」

 彼女はそれから、お金に見え始めたクッキーと自分と、人生と職業観というものを延々と男(と私)に語り続けたのだった……。

 気がつくとコーヒーは冷めていて、彼女は語りっぱなし。カフェで本を読む計画は諦め、外に出た。雨だったけど、外は静かだ。意見がなくて、大変よろしい。

 歩きながら、とても疲れている自分に気がついた。この疲れは、最近、よく味わう。気持ちを鼓舞するための言葉の数々。だけど、どれもどこかで聞いたことがあるセリフの羅列。主語などいくらでも入れ替え可能な、物語。なんとなくいい話。でも限りなく薄っぺらい感動。そういうものに囲まれるような、疲労。

 ずいぶん前に、小泉元首相が土俵で「感動した!」と大きな声で言い放ち、流行語にもなった。あの時、感動したことを「感動した!」と表現する語彙の軽さに、多くの人はあっけにとられたはずだ。だからこそ「新鮮」に響き、話題になったのだから。でも10年以上を経て今は「感動した!」が最高の褒め言葉で、「感動させる!」を強いモチベーションとしている人が多くなってはいないか。私はそろそろ「感動」や「強い思い」に、蓄積疲労を感じ始めている。

 家に帰ったらお中元が届いていた。大好きなお煎のセット。お茶を出していただこうとしたら、お煎餅と共にカードが出てきた。

「餅一筋に生きる」「美味しい笑顔が最終ゴール」

 疲れる……。

週刊朝日 2015年7月24日号