学生のパソコン離れを嘆く声もあったりするが、それはスマートフォンが実質的にパソコンの役割を果たしているからである。フリック入力という入力方式を使えば、ゼミのリポート程度ならスマホで書くことも十分可能だ。調べ物も簡単にできる。これまでの教育は暗記型の詰め込み教育であったが、それはいちいち覚えていないことを調べるために図書館で書籍を借りて調べなければならず時間がかかっていたからである。
しかし、今は大抵の知識はインターネット経由で検索することができる。あるいはQ&Aサイトなどで知識を持っている人に聞くこともできる。むしろ調べたり覚えたりすることに時間を費やすことなく、考えることに時間を割けるようになってきているのである。
学長は読書を重視しているが、私は以前のような意義はなくなってきていると思う。刑務所にいる間は仕方なく書籍中心の生活を送っていたが、社会にいて知識を得るのに書籍は必須の手段ではない。金科玉条のように書籍を読むこと=善とするのは思考が硬直していると言わざるを得ない。
また大学に集う友人たちよりも、むしろSNSでつながった知識人たちとの交流のほうが知識教養を深めるだろう。友人たちとコミュニケーションをとりながら、つまらないときはスマホでSNSに接続して議論しても良い。私は実際にそうしている。隙間時間や退屈な時間を有意義な時間に変えることができる。
恐らく学長の頭の中には、既存の大学が果たす役割が小さくなっていること、つまり大学に通う意義がなくなりつつあることに対する無意識の恐れがあるのかもしれない。邪推すると、アカデミズムの頂点とも言える学長という立場を守りたいという意識も手伝ってこのような発言に至ったのではないかとも思えてしまう。
道具は使い方次第で善悪が決まる。新しい道具を上手に偏見なく使う人がこれからも成功していくと思うのだ。
※週刊朝日 2015年4月24日号