こういう事態を、次世代の党の若手議員たちは想像していただろうか。
議席数は19から2へと激減した。党首の平沼赳夫氏(75)は開票の結果を受け、ホテルニューオータニ東京の一室で渋い顔で言った。
「お相撲さんの世界を見ても、最初はぶつかり稽古で地面にたたかれても、そこから成長があります。われわれもそこからです」
党幹事長の山田宏氏(56=東京19区)は落選。「打倒公明党」を掲げ、太田昭宏前代表のいる東京12区から出馬した目玉候補、元航空幕僚長の田母神俊雄氏(66)もあっけなく落ちた。
「私も空軍ですので一度飛び上がったら燃料がなくなるまで飛び続けるしかない」
と、田母神氏。
そんな危機的状況だが、最高顧問の石原慎太郎氏(82)は開票日、姿を現さなかった。選挙戦初日、JR新宿駅前での街頭演説では、
「みんなで本当に次世代、子や孫のために頑張ろうな」
と、熱く力強く聴衆に呼びかけたが、選挙戦早々に政界引退を示唆した。
党関係者は不満げだ。
「石原さんを推す人の票も『やる気がないのなら……』と離れてしまった。せめて、引退示唆は選挙後にしてほしかった。積極的にもっと応援に来てくれたら変わった気がするのに」
石原氏は最終日、山田氏の応援に駆けつけた。山田氏は以前、東京8区である杉並区長を務めており、同区での人気は高い。だが、石原氏の長男・伸晃氏(57)の選挙区のため、同区からの出馬に石原氏が反対したという。
「山田さんの応援に来たのは、後ろめたさがあったからでしょう」(同)
だが、その応援では、自らの政治生活について話し、
「一番したいことはシナと戦争をして勝つこと」
などと語り、大きな拍手を浴びた。さながら個人演説会だった。
また、伸晃氏と三男・宏高氏(50)の当選には、公明党の後ろ盾が不可欠。仲がよい田母神氏の応援に訪れなかったのは、このためと言われている。公明党の太田氏の応援には、伸晃氏が訪れていた。
一方、党首の平沼氏は当選。ただ、寒空の下、コートも羽織らず直立する姿はさすがの風格だが、手すりを両手でつかまないと選挙カーの階段を下りられない。
「平沼さんまで引退したら党の顔がいなくなってしまう。次を担える人材が育っていないのに……」(同)
石原氏は党の次世代(後継者)より石原家の次世代(息子)が大事だったのか。
※週刊朝日 2014年12月26日号