隣国についての情報がきわめて少ない場合、議論は空疎で荒誕なものになる。明治初期の征韓論がそうである。でも、それから隣国についての情報が少しずつ増えてきて、個人的友人となった隣国民を通じて隣国の状況を学ぶ段階に至るとアジアの隣邦と連合して欧米列強に対抗しようというアジア主義のアイデアが生まれる。たぶん隣邦にも尊敬に値する君子英傑がいることを知り、その辱知の栄を得た感動が大きかったのだろう。
だが、その後、外交や軍事や経済を通じて隣国の実情についての膨大なデータが蓄積されると、一転して人々は一望俯瞰(ふかん)的な地政学的言説を操るようになる。もう個人的に知っている隣邦の人への敬意や信義に基づいてアジアの経綸(けいりん)を語る人はいなくなる。アジア主義の変質とはこのことなのだと思う。権藤成卿や宮崎滔天や樽井藤吉らの書き物の手触りが優しいのは、自分の書いたものを読む中国人、朝鮮人の具体的な顔を思い浮かべながら書いているからであろう。
内田樹(うちだ・たつる)/1950年、東京都生まれ。思想家・武道家。東京大学文学部仏文科卒業。専門はフランス現代思想。神戸女学院大学名誉教授、京都精華大学客員教授、合気道凱風館館長。近著に『街場の天皇論』、主な著書は『直感は割と正しい 内田樹の大市民講座』『アジア辺境論 これが日本の生きる道』など多数
※AERA 2023年2月20日号