「バンクーバーの自分にリベンジできたと思う」。メダルは逃したが、記憶に残る演技を見せ、世界のスケーターからも称賛の声が集まった (c)朝日新聞社 @@写禁
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 最後のポーズで、しばらく天を仰いだまま、こらえながら震えていた。これほど、心を揺さぶる奇跡があっただろうか。

 浅田真央の集大成として臨んだソチ五輪は、ショートプログラム(SP)で、まさかの16位。メダルは絶望的、入賞すら危ぶまれていた。

 まばゆいばかりの才能がありながら、浅田にはどこか切なさがつきまとう。金メダルも可能といわれたトリノ五輪には年齢制限に87日足りず、出られなかった。19歳で出場したバンクーバー五輪では、女子史上初の3度のトリプルアクセルを成功させるも、銀メダル。ソチ五輪までの4年間は、一からスケーティングを見直し、ジャンプを矯正。逃げずに試合に出続けたが、表彰台にすら上がれない時期が続いた。

 しかし、私たちが考えていた以上に、「真央ちゃん」は強いアスリートだった。悲劇のソチで、誰もが諦めかけていた中、最後まで挑む姿勢を崩さなかった。フリーでは、トリプルアクセルを含め、全6種類の3回転ジャンプを8度跳ぶ、という五輪女子史上初の構成に挑み、すべて着氷。土壇場で最高の演技を見せた浅田に、72歳の佐藤信夫コーチは、万感溢れる眼差しを向けた。自己ベストも更新するスコアをたたき出し、6位まで追いあげ、ようやく見せた笑顔でこう語った。

「自分が目指しているフリーの演技が今日できて……。支えてくれた人たちに、私なりの恩返しができたと思っています」

 これまでにない五輪の緊張感にのまれ、フリーの演技で転倒しながらも、日本男子初の金メダルを日本にもたらした羽生結弦も、被災地である故郷を思い、「恩返し」と口にした。

 ソチで生まれた新しい伝説の数々。その陰で、金メダル確実と期待されながら、涙をのんだ選手もいた。そこにも、メダルより輝くものが、確かにあった。

週刊朝日  2014年3月7日号