自宅で死にたい。高齢者の6割がそう願うという。現実には、その望みがかなうのはわずか1割。なぜ私たちは自宅で死ぬことができないのか。ホームオン・クリニックつくば院長、平野国美医師(48)に話を聞いた。
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厚生労働省の発表によれば、高齢者の6割が、「終末期の療養生活は自宅で送りたい」と希望するものの、実際に自宅で亡くなる人はわずか1割です。8割の方の死に場所は、病院です。
こうした原因を最初につくったのは、日本が世界に誇る健康保険制度でした。
この便利な制度によって家族は、高齢者がちょっと体調を崩すと、病院に入院させるようになりました。その後は、本人の治療が終わっても、家族が引き取らないといった社会的入院が増え、そのまま病院で亡くなる高齢者が増えたのです。
二つめの原因は、日本人の死生観の欠落です。
昔の日本は、農業など第1次産業が中心で、職場は家の前の畑でした。お年寄りを看ながら、仕事もできた。自宅で最期を迎える高齢者は、次第に食べ物がのどを通らなくなり、やせていく。死を迎える過程を家族みんなが子どものころから見て、学び、看取りの文化が継承されていたのです。
時代の流れとともに、高齢者の“病院死”が普通になると、私たちは身内の死を目の前で見ることがなくなりました。家族は、「ここで死なれたら面倒臭い」「怖い」と、自宅を死に場所として認めなくなりました。日本人は、「人が死ぬ」という意味を肌で実感できなくなったのです。死の過程を知らない家族が、具合の悪い患者さんを目のあたりにして、「生きてほしい」と、人工栄養など延命措置を望むのは、自然なことです。
私は、日本人に死生観を取り戻したいという観点から、人は在宅で亡くなるべきだと考えています。実は、厚労省も、医療費の抑制という理由ではありますが、2025年までに在宅死の割合を4割に引き上げることを目標にしています。
※週刊朝日 2012年12月28日号