デジタルカメラの誕生と進化により、写真の「合成」や「加工」はとても身近なものになった。撮影後にパソコン上で画像を処理することも容易になった。同時に、写真表現としてどこまでの合成、加工が「許容」されるのか、という点は常に議論され続けてきた。その基準は各コンテストでも多様であり、作品のテーマや写真家のスタンスによっても、さまざまな意見がある。
そこで、現在発売中の『アサヒカメラ』3月号では各界で活躍する写真家に写真の合成と加工に関する「哲学」を聞いてみた。今回は幾多のジャンルで活躍してきた横木安良夫さんのインタビューを一部抜粋して掲載します。
* * *
合成しちゃいけないなんて、絶対にありえないよね。そんなの昔からみんなやっているから。「天を伸ばす」なんて、アサカメだってやっている(笑)。
ぼくが表紙の写真を撮ったとき、「アサヒカメラ」のロゴがのる部分が足りないからと、背景のブルーを伸ばしたからね。そんなことはフィルム時代からふつうにやっていたわけ。
要するにプロ写真家は自分では手を汚さず、印刷のときになんでもやってしまう。仕事だからね。レタッチも「肌きれいに」とか、印刷でやっていた。タレントの写真とか。昔から化粧品の広告なんかは肌をきれいにしていたけれど、いまは猫もしゃくしも肌がツルツル。
特に芸能人の写真はいろいろな力関係があって、マネジャーという写真の素人たちがどんどん口を出すのでどんどんツルツルになる。マネキンみたいで気持ち悪いって思わないのかな。
リチャード・アべドン(※1)の8×10のモノクロポートレートのシリーズは、細部まで超絶に焼き込みなどの指示を出しているのが公開されている。
マニピュレーションというのかな。でも、ただきれいにするのが目的ではなく、出来上がったものは自然に見えるし、すごみが表現されている。テクニックが表に出ていないだけで、フィルム時代だって写真のつくり込みは常識だった。