写真も絵と同じくらいにいろいろなことをしてもかまわないと思う。絵とは違うやり方でね。絵みたいになるのは失敗。合成とかコラージュをするなら、美術の世界に殴り込みをかけるぐらいの根性が必要かな。

 デジタル時代の合成って、美術のまねみたいなもの、そして写真の必然性や偶然性を都合よく変えること。無駄なものを排除したり付け足したりしてね。

 写真のいちばんの特性は偶然性。それを無視してテクニックで解決した作品は陳腐になりがち。テクニック丸出しの写真って、最初に見たときは、「面白いな」と思うけれどすぐにあきちゃう。

 人間はそういう動物。合成写真の良しあしは、陳腐か否かですよ。つくりものと偶然撮れたものは明らかに違う。絵のようにしたいのなら、美術の土俵に立っても負けないようにね。

 フォトコンテストは、単純に言えばゲーム、競争。だからルールが必要だと思う。ルールに「合成しちゃいけない」って書いてなきゃ別に何をしたっていいんじゃない。ただ、書いてあってもやる人はやる。賞金がかかっているから。

 だから審査員が試されているともいえる。そのうち完成度の高い写真は選ばれなくなるかもしれない。自分たちで自分の首をしめないように。

 それとまだ1950年代の「リアリズム写真」みたいなことを言っている人がいる。いまだに写真は「真」を「写す」ことだと信じている人。その思想は正しい。本来、写真の身体性のことをいっていると思うから。でもテーマがアナクロにならないように。過去というイメージとの合成のようにならないように。

 まあ、コンテストで賞をとるって、自慢のネタみたいなものだから、つい誘惑にかられて「うそ」という不正をする人もいるんだろうね。それで賞をとっても心の中で何を思うか。自分にうそはつけないからね。(聞き手・構成/アサヒカメラ編集部・米倉昭仁)

※1 リチャード・アべドンは現代のファッション写真の礎を築いた写真家

※『アサヒカメラ』2020年3月号より抜粋。本誌では横木さんのインタビュー全文と他作品も掲載している。