名将、野村克也氏が今月11日に亡くなった。選手としても輝かしい実績を残したが、現役世代ファンにとって印象深いのは「監督」野村克也であり、その代名詞でもあったのが、「ID野球」、そして「再生工場」だった。他球団を戦力外になった選手に自信と活力を与えて復活させる手腕は、やはり見事というほかなかった。
だが、野村監督には及ばずとも、他にも“再生”が上手かった監督はいる。まず初めに名前が挙がるのが、落合博満氏だろう。独自の観点から野球を見て、選手を“オレ流”で評価。中日監督就任1年目の2004年には、巨人で現役を引退してコーチ就任が一度は決まりながらも現役続行を宣言した川相昌弘を獲得。「一芸に秀でている選手を起用する」という中で控え要員ながら存在感を見せ、サヨナラ打を2本放つなどの活躍で同年のリーグ優勝の大きな戦力となった。
それから3年後の2007年には、オリックスを自由契約となった中村紀洋を入団テストの末に育成枠で獲得。そして開幕直前に支配下登録させると、開幕戦から起用して後半戦にはクリーンナップを任せるなど重用。前年、打率.232、12本塁打、45打点だった中村はこの年、最終的にシーズン130試合に出場して打率.293、20本塁打、79打点の成績を残して、中日のリーグ2位からの日本一に貢献。自身は日本シリーズMVPを獲得して見せた。
同じ中日では、落合監督の参謀役として手腕を発揮した森繁和氏も、自らの監督就任とともにベテランを復活させた。指揮官としての生活は2016年の監督代行時代を除くと2年間のみだったが、1年目の2017年には前年に15試合2ホールド0セーブと大不振だった岩瀬仁紀を、50試合登板で26ホールド2セーブと復活させた。さらに翌18年には、日本球界復帰後3年間で一軍1試合のみの登板だった松坂大輔を獲得すると、その松坂が11試合に登板して6勝を挙げる活躍を披露。森監督は自ら「つなぎの監督」と称し、チーム成績も2年連続5位と低迷したが、岩瀬、松坂がともにカムバック賞を受賞するなど、“再生工場”としては非常に生産性が高かった。