家は貧しく、日々の暮らしはいつも逼迫(ひっぱく)していました。いつか東京に戻れる日は来るのだろうか。そんなことを考えて、暗い気持ちになることがなかったと言えばうそになります。ただ私は自分の毎日を「いやだ」と思ったことはありません。毎日に不満を言い始めたら、つまらないことだらけです。

「うちはお店もなくなってしまって」
「うちはお金もなくなってしまって」

 それを口にして状況が変わるのなら、私もそうしたかもしれません。でも不満を口にしたところで何ひとつとして状況が変わらないのなら、そんなことに時間を割いて、自分で自分を落ち込ませることはないのです。

「毎日毎日がおもしろい」
「新しいことを知って、ひとから習った以上のことができるようになるのはこの上なく痛快」
「探求心を強く持つということで、開ける道はあるはずだ」
「手に職。手に職さえあれば、いくつになっても生きていけるはず」

 私は給仕をしながら、日々そんなことを考えていました。

 毎日というものは、本当にそのひとのこころの持ち様によって変わってきます。つまらないと思えば、どんなことだってつまらないでしょう。でも同じことでもおもしろいと思えばいくらでも、そこにおもしろさは見つけられるはずです。

 毎日を、ふてくされて生きるのか、それとも笑って生きるのか。

 同じ時間を生きるのであれば、笑って生きるほうが楽しいに決まっています。

 そう思いませんか?

【しなやかに生きる知恵】
つまらないと思えばなんでもつまらない
おもしろいと思えばなんでもおもしろい

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