国内外のモータースポーツを長年フリーランスで取材してきた、鋭い目。

 メディアやファンの前に出るときとは違う、ジャーナリストの目。

 大きい今宮さんの目の奥に強烈な熱量を感じる。熱が大きな圧となって押し寄せる。

 企画担当者が資料を広げて話し、筆者は技術的な部分を噛み砕いて説明する。その時の今宮さんの答えは怖ささえ感じるほど、圧倒的な存在感を示していた。当たり前の話だが、当時でジャーナリスト活動30年。F1サーカスという修羅場で、言葉の中に大きな意味を植え付け、相手から本心を引き出し、その本質を見出す。まだ20代だった筆者に「長く続けた人の強さと大きさ」を感じさせた。

 その一方、今宮さんはデジタルな事柄にはあまり強くなかった。2003年から大手携帯電話キャリアで動画を配信していたのだが、その一部を公式サイトでも配信することになった。持ち込んだノートパソコンで、その場でいろいろ変更しながら説明すると、今度は好奇心の目になり「いやあ、今の時代は本当、いろいろできるんだね」と感心していた。

 実際に公式サイトに掲載するコラムも、今宮さんから企画担当者に手書きの原稿がFAXで送られ、それをテキストにしたファイルを筆者が受け取り、公式サイトに更新していた。その年いっぱいで所属していた会社を辞め、別の会社に移ることになるのだが、筆者の手から離れるまでは「アナログな手順」で運営していた。

 最後にお会いしたのは翌2005年の1月のこと。今月も第35回が開催される予定だった「クロストーク・ミーティング」の第1回目だ。青山1丁目、ホンダ本社のすぐ近くで行われたクロストーク・ミーティングは数十人と小規模だったが、熱心なF1 LOVERSの皆さんと今宮さんの「ちょっとアンオフィシャルな話」で大変盛り上がった。

 閉会し、少し落ち着いたところで会社移籍のご挨拶をした。新しく所属する社名を言ったら「え、アロンソの仕事でもするの?」と冗談っぽく笑って返されたので、「今日はドイツ車で青山1丁目にお越しなんですね」とこちらも冗談で返した。

次のページ
それでもF1は続いていくわけです