日本のF1人気に大きく貢献された今宮純さん(c)朝日新聞社
日本のF1人気に大きく貢献された今宮純さん(c)朝日新聞社
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 F1テレビ中継を見たことある人ならば誰もが知っている。日本のF1ジャーナリズムの開拓者、今宮純さんが1月4日に亡くなった。70歳。あまりにも突然の知らせであり、衝撃を受けたF1ファンや関係者も多いだろう。筆者もその一人である。

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 2004年の春、筆者は都内にある今宮さんの事務所にいた。Webディレクターになりたてのころ、初めての大きな仕事が「今宮純公式サイト F1World.jp」の制作で、その打ち合わせのためにお邪魔した。イベントやトークショーでお会いしたことはあったが、それはジャーナリストとF1ファンという関係性。かつてF1の世界で生きていきたいと夢見ていた筆者は非常に緊張し、またワクワクしていた。

 当時の今宮さんの事務所は閑静な住宅街の、普通のアパートの2階にあった。本当にありふれたアパートで、おそらくファンの人に「ここに事務所があります」と言っても信じてもらえないくらいに質素な建物だった。エレベーターすらない、階段だけが2階に上がる手段というほどだ。その階段を登り、玄関前に立つ。企画側の担当者がチャイムを鳴らすと、柔和な笑顔を見せて今宮さんがドアを開けた。テレビや雑誌でよく見せた、あの穏やかな表情だ。

 事務所に入ると、そこは普通のアパートの一室ではないことがすぐにわかった。決して広いとは言えないスペースに紙の資料がびっしり詰め込まれていた。比喩ではなく、古い紙とインクの香りが漂い、さながら「F1専門の古本屋」であった。その店主であり執筆者が今宮さんという雰囲気だ。

 名刺交換を終え、自己紹介がてら1994年と1995年のパシフィックGPを見に行ったことや国内のレースを取材して回ったことなどを話した。すると、よく知る穏やかで低い声で「F1、本当に好きなんですね」と、これもよく知る笑顔で返してくれた。いざ、Webサイトの話になる。すると穏やかさの中に別な一面を見せる。

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