プロ入りから10年間背負った15番をはく奪されて、背番号が43番に替わった2016年。それまでほとんど経験のなかった中継ぎとして一軍に戻り、自己最多の52試合に登板して7勝3敗6ホールドと、復活の兆しを見せた。しかし──。

「コンディションが悪くても、投げれるんだったら投げたほうがいいって思ってやってましたけど、正直、体の波はけっこうあって……。それが蓄積してきて、その後に出てきちゃった感じです」

 2017年の一軍登板は13試合、2018年は3試合。オフに腰の手術を受け、復活を懸けて臨んだ2019年は5月にイースタン・リーグで実戦復帰するも、状態は一進一退。さらに「手術をした後ずっと投げてなかったので、ちょっと投げ始めたらずっと状態が悪くて。治療もしたんですけど、なかなか戻らなかったです」と、肩痛で夏場に離脱してしまう。

 それでも9月はイースタンで5試合に登板して、うち4試合は無失点。既に球団の来季構想からは外れていたが「ボールも少し(良い状態に)戻ってきたんで、徐々に(状態が)上がっていけばもっと良くなる可能性はあるなって思ってました。ヤクルトではもう先はないかなって思ってたんですけど、その後のことも考えて準備しなきゃって」と、現役続行の道を模索した。

 ただし、当初はトライアウトを受けずにオファーを待つつもりだったという。

戦力外を通告されてから体の状態があまり良くなかったんで、受けるつもりはなかったんです。ずっと肩と腰のリハビリをしていて、一度は『これだったら投げれるかな』っていうメドがついたんですけど、トライアウトの3週間ぐらい前に肩の調子がまたおかしくなって……。そこから2週間はノースローにしてたんですけど(トライアウトまで)残り1週間ぐらいになって、いろんなリハビリの成果もあって投げれる状態まで持ってこれたっていう感じです」

 滑り込みで受験したトライアウトでは、3人の打者と対戦。結果は西岡剛(元阪神)を見逃し三振、八百板卓丸(楽天、今季の登録名は卓丸)には四球、そして近藤弘基(中日)は一塁へのファウルフライ。投じた8球は、すべてストレートだった。

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最速は138キロだったが“手応え”