自らのアイデアで前年の秋季キャンプから投手をやらせていた野村監督は「1年目は敗戦処理、2年目にストッパー、3年目に先発完投を目指す」と3年計画を発表。このままいけば、大谷翔平(エンゼルス)以前に、二刀流のスターが誕生する可能性もあった。
ところが、翌22日、左太腿四頭筋肉離れを発症し、投手どころか本職の外野手でも開幕絶望に……。巨人戦登板直後にも左太腿に痛みを訴えて9日間戦列を離れるなど、明らかに登板で筋肉に余計な負担をかけたことが原因。ついに二刀流は廃業となった。
同年は故障で出遅れたものの、6月12日の巨人戦(甲子園)では、4対4の延長12回1死一、三塁、槙原寛己の敬遠球を、全身をしなやかに伸ばして大根斬り打法で左前にサヨナラ打。総力戦となったこの試合では、12回にセカンドを守る器用さも見せている。
メジャーから日本球界に4年ぶり復帰を果たした2004年の日本ハム時代には、投ゴロで二塁から一気に生還というスーパープレーを披露した。
3月6日のオープン戦、ヤクルト戦(札幌ドーム)、1対0の2回、中前安打で出塁した新庄は、島田一輝の二ゴロで二塁に進んだあと、金子誠のカウント2-2のとき、ベンチからのサインでスタートを切った。
金子の打球は投ゴロとなり、大きくバウンドした打球をグラブに収めたマウンスは、一塁に送球した。普通なら三塁でストップするケースだが、新庄は「アウトになってもいいかなと思って。セーフになって、ファンが喜んでくれたらいいかな」と迷わず三塁を回る。そして、際どいタイミングながら、捕手・米野智人の後ろに回り込み、右手で本塁ベースをタッチした。中村稔球審の判定は「セーフ!」。
完全に意表を突かれたマウンスは「あれはとにかくサプライズだ」と目を白黒。ヒルマン監督も「うまく読んで、思い切って走塁してくれた」と絶賛するなど、メジャー経験者も認める一級品のプレーだった。