酒井監督から見て、設楽の特色は持ち前のスピードにあった。トラックからマラソンに移行するにあたり、5千メートルで13分30秒、1万メートルで27分40秒前後という国内トップクラスのスピードをどう維持するかがひとつのポイントになった。
設楽のスピードの源は、脚の速い回転である。スムースな足のさばきが、前方への推進力となる。
しかし、トラックからロードに主戦場を移すと、どうしてもこの回転が犠牲になってしまう。2時間、回転を維持するのは難しいからだ。しかし、設楽は自分の持ち味を放棄するつもりはなかった。
リオデジャネイロ・オリンピックでは1万メートルに出場し、28分55秒23で29位に終わったが、その後にロードに転向し、着実に成功を収める。
酒井監督はいう。
「悠太はロードであっても回転をキープしつつ、そして地面からの反発をうまく推進力に換えていったんです」
初マラソンは、2017年2月に行われた東京マラソン。ここでは2時間9分27秒で11位に入り、上々のスタート。そして強化期の仕上げとして9月にウスティ・ハーフマラソン(チェコ)で1時間00分17秒の日本新記録をマークする。その1週間後には平坦コースのベルリン・マラソンに参加、2時間9分3秒の自己ベストをマークする。
この9月、ウスティ・ハーフにピークが来ていた可能性もあり、ベルリン一本に絞っていたら、8分台に突入する可能性もあった。この時期、回転を活かした走法が早くも実を結び始めていた。
■日本中に衝撃を与えた記録樹立と1億円
そして日本中に衝撃を与えたのが、18年の東京マラソンだ。設楽は中盤以降、一時は失速したかに思われたが、最終盤になって持ち直し、2時間6分11秒という日本記録をたたき出したのである。この記録樹立の褒賞金として1億円を手にしたことで、設楽は一気に「セレブ」の仲間入りをした。
この日本記録樹立のあと、私は設楽にインタビューする機会があったが、これが楽しい場になった。設楽はこの時期、毎週のように競技会に出ていた。川内優輝(あいおいニッセイ同和損保)は別として、日本のエリートランナーとしては異例の調整方法だった。その真意を質すと、こんな答えが返ってきた。