「同じ練習をするにしても、所属のチームでやっているとサボっちゃうんですよ。だったら、ハーフマラソンや記録会にエントリーして、しっかり走ったほうが自分のためになるんです。僕は、サボり魔ですから!」
本人、大真面目である。しかし、意図はよく分かった。同じ走るにしても、競技会のほうが周りの緊張感もあり、練習の質が保証されるからだ。しかも、所属のHondaはこの方法を支持してくれているという。設楽には願ってもない環境だったが、酒井監督は「自分がやってみたいアプローチが芽生えたこと自体が、悠太にとっての成長」と見ていた。
このときの取材で笑ったのは、日本記録をマークした東京マラソン当日にしても自然体だったことだ。レースは午前中に行われるから、普通の選手は1週間ほど前からレース時間に合わせた起床時間を心がける。ところが設楽はお構いなし。
「前の日はずいぶんゆっくり寝てましたし、当日だけですよ、早く起きたのは」
こんな人もいるのか、と驚いたが、さすがに朝食には気を使ったでしょう? と水を向けると、「いや、普通にホテルのバイキングです」と、またも設楽の世界が全開。
とらえどころがないと取るか、本人の世界が確立していると取るかは取材者次第だが、私は設楽が自分の色を確実に見つけたのだと思った。なぜなら、学生時代に比べ、インタビューでの言葉の量が5倍、10倍にも感じられたからだ。
ただし、この東京マラソンでは右脛すねの疲労骨折が判明し、休養を余儀なくされる。レースに復帰したのは9月のことだったが、18年秋から19年の春先までのロードシーズンは苦戦を強いられた。
しかし、設楽は今年の初夏を迎え、戻ってきた。酒井監督はいう。
「東京マラソンで日本記録をマークした後は、なかなか思うようにプランがはかどらなかったと思います。去年の10月にはシカゴ・マラソンを走った大迫(傑)君にも記録を破られ、悠太にも期するところがあったでしょう。春から初夏にかけて、悠太のカラーがどんどん出てきたのを間近で感じます。ケガをした分、強くなれたんじゃないですかね」
(取材・文/生島淳)
生島淳(いくしま・じゅん)/1967年宮城県生まれ。ジャーナリスト。ラグビー、陸上を中心に国内外のスポーツを幅広く取材する。著書に『奇跡のチーム』『エディー・ジョーンズとの対話』『箱根駅伝ナイン・ストーリーズ』(いずれも文藝春秋)など
※『マラソングランドチャンピオンシップGUIDE』より抜粋