退院できたのは12日後。今回も手術までは至らなかったけれど、「脳梗塞の症状が出たら時間との勝負ですよ」って忠告されたね。1度目のときも、女房が引っ張って病院に連れて行ってくれなかったら、この日も娘に、「病院なんていいよ、めんどくせえ」なんて突っ張っていたらと思うと、感謝しかないね。

 もし俺がサラリーマンだったら、身体に異変を感じても、少しくらいならごまかして日々の生活に復帰しちゃうかもしれない。ただ、やっぱり俺のなかには、「いつも万全でいたい」という気持ちがあるから。「あれ、いつもと違うな」っていう違和感があると、すぐに防衛本能が働くというか、どんどん「おかしいぞ?」っていう気持ちが働くのかな。

 もちろん無自覚なときもあるけれど、身体の異変に敏感なのは、自分の身体を何よりも大事にしてきた者の宿命かもしれない。このときも、こうした自然なサインを女房や娘が見てくれていたから助かったっていうわけだ。

 だけど、救急隊員がうちに着いたときには、立てない状態だったからね。体重も重いし、シートの上に座ったまま持ち上げられて。そのまま玄関から運び出されたけれど、エレベーター内ではなんともみすぼらしい思いをしたよ(笑)。それこそ昔は、「俺は一人で生きてるんだ」っていう、虚勢を張っていた部分もあったけれど、「結果的にはみんなに支えられて生きているんだな」という、ごく当たり前のことに改めて気付かされたし、「俺の身体にも年相応にガタがきたか」という事実を受け入れるのが、本当にショックでね。

 このとき、娘から一冊のノートを渡されたんだ。「ちゃんと自分の言葉で遺言を残してください」ということだよ。そのノートを開いたら、自分でも驚くくらいたくさんの言葉が浮かんできてね。俺たちの世代でいえば、ドラマや映画になった「愛と死を見つめて」の文通のような、読み返したら気恥ずかしくなるような内容だけど(笑)、感謝の言葉がスラスラと出てくる。だからそのときに感じたことを、素直に綴ったよ。

 プロレスラーという職業を、「自分が嫌になるまでとことんやるんだろうな」って自覚してからこの日まで、「老いてたまるか」という気持ちは、やっぱりどこかにあったんだね。だから、みんなも「俺は気が張ってるし、若い奴には負けない」っていう気概を持っているかもしれないが、「気持ちが若いのとは別の話だから、身体のケアを怠るなよ」ということを忠告しておきたいんだよ。だって、俺も「まさか」って思ったもの。これまでずっと、若いレスラーのほとんどを、飲みでもプロレスでも潰してきたんだから(笑)。

【独占告白(2)】に続く

(構成/小山 暁)

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