競泳というタイムを競う種目において、自己ベストが出ないというのは成長できていないことに等しい。国際大会でのメダル獲得という結果を残していても、萩野本人からしてみれば成長していないどころか、タイムだけを見れば退化してしまっているのである。

 その間に、ライバルのチェイス・カリシュ(アメリカ)は400m個人メドレーで萩野が持つ記録を上回る4分05秒90という自己ベストを叩き出し、日本のライバルである瀬戸大也(ANA/JSS毛呂山)も萩野に及ばないまでも、自己ベストを着実に更新し続けている。

 ライバルたちに追い上げられるプレッシャーに、自分が成長できていないという事実が焦りとなって萩野を襲い、心が悲鳴を上げた結果、萩野が出した結論は休養だった。

 3月15日の休養宣言から約5カ月。8月2~4日に行われたスイミングワールドカップ東京大会で久しぶりにファンの前に姿を現した萩野が200m個人メドレーの決勝を泳ぎ終えたあとに発したのが、冒頭の言葉である。

 記録だけでいえば、スイミングワールドカップで泳いだ200m個人メドレーは2分00秒03で銅メダル、200m自由形は1分50秒43で予選落ちという結果だったが、萩野の表情はリオデジャネイロ五輪以来見ることができなかった、晴れやかな笑顔だった。

 カリシュに負けていることを認め、現時点では瀬戸にも大きな遅れを取っていることを受け入れた萩野の気持ちは、間違いなく吹っ切れている。

 あとは、どうタイムを上げていくか。最も難しい問題が残されている。

 萩野自身も口にしているように、9月14~16日、茨城県で行われる国体で出場する、200m個人メドレーで1分57秒台を出すことが、五輪への第一歩となることは間違いない。

 3年間ものあいだ自己ベストが出ないばかりか、自分が望む記録をレースで出すことができなかった萩野にとって、200m個人メドレーで1分57秒台うんぬんというよりも、タイムを出す、という目標自体がとても大きなハードルである。しかし、子どものころから順調にタイムを伸ばして結果につなげてきた萩野にとって、東京五輪で戦うことを考えるならば、タイムが伸びないという最大の試練を乗り越える必要があるのだ。

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国体での泳ぎが今後を占う