「たくさんの人の支えがあって、たくさんの人からの声援があって。こんな素晴らしい環境で僕の泳ぎをたくさんの観客の人たちに見てもらえて。なんて幸せなんだろうって思いました」
今年3月、モチベーション低下からの休養を宣言した萩野公介(ブリヂストン)。「水泳が嫌いになりそうだった」と、その心には深く、重たい闇を抱えていた。
萩野はリオデジャネイロ五輪の400m個人メドレーで金メダル、200m個人メドレーで銀メダル、そして4×200mリレーで銅メダルと3つのメダルを獲得。学術、スポーツ、芸術分野における優れた業績に対して送られる紫綬褒章も受章。4年後に控えた東京五輪では、北島康介に次ぐ連覇、そして単一種目ではなく、個人の複数種目でのメダル獲得の期待が高まっていた。
最高の結果で終わったリオデジャネイロ五輪後、2020年の東京五輪に向けて新たなスタートを切った萩野は、2017年の世界選手権(ハンガリー・ブダペスト)では200m個人メドレーで銀メダルを獲得。翌2018年のパンパシフィック水泳選手権(日本・東京)では200m個人メドレーで銅メダル、400m個人メドレーで銀メダルに輝き、続くアジア競技大会(インドネシア・ジャカルタ)でも200m、400m個人メドレーで銀メダル、400m自由形では銅メダルを獲得した。
この結果だけを見ていれば、何も悩むことはないように思えるが、萩野の心をえぐり、削り続けたのは、そのタイムだった。
現在、萩野が持っている日本記録は、400m自由形と200mと400mの個人メドレーの3種目。実は2016年以降、このタイムを更新することができていない。400m自由形に至っては、2014年から自己ベストが出ていない状態が続いているのである。
2017年の世界選手権での200m個人メドレーの銀メダルでも、1分56秒04とベストから1秒近く遅れている。2018年のパンパシフィック水泳選手権では400m個人メドレーで4分11秒13、200m個人メドレーでも1分56秒66という記録にとどまっている。アジア競技大会では、400m個人メドレーこそタイムを少し上げて4分10秒30で泳いだものの、200m個人メドレーは1分56秒75、さらに400m自由形では3位とはいえ3分47秒20という、自己ベストから4秒近く遅れるものだった。