■僕は逃げたのだと思っている

「下川君はなにをしているの?」

 森氏が怪訝そうな視線を送ってきた。声をかけた意図を伝えると、森氏は、戸惑いがちに薄い笑みを浮かべた。彼は朝日新聞社の社員である。これまでも何回か海外取材を経験していた。開高健の南北アメリカ縦断の旅では、南米編を担当していた。ミャンマーよりも、もっと苛酷な国も知っているはずだった。しかし旅費は経費である。空港から市内まではタクシーに乗っただろう。それはとくに贅沢な旅というわけではない。しかし僕は、そのタクシー代をシェアしようとした。

 思い返してみれば、「12万円で世界を歩く」という旅の企画の原点はこのときにあった気がする。森氏の目には、そこまで切り詰めた旅をする男……というイメージが刷り込まれたようだった。

 それから何年かがすぎた。日本はバブル経済という気味の悪い好景気に包まれていく。僕にも金融関係の仕事が舞い込むようになる。日本の証券会社の話を聞くために、ロンドンやニューヨークに向かった。僕はさも金融分野の専門家のような顔をして、欧米の金融街を歩いていた。

 そのなかで僕はタイ語を学ぶためにバンコクに向かうことになる。その理由はいろいろあったが、僕は逃げたのだと思っている。日本に渦巻くバブルという熱気、なにも知らないのに金融ライターのような顔で場をとり繕う自分、そして妻……。タイ語を学ぶという理由は、体のいい説明にすぎなかった。

 10カ月ほどバンコクに暮らした。金がなくなって日本に帰った。フリーランスのライターというものは、日本を離れるとすぐに忘れられていく。帰国した僕は森氏に呼ばれた。

「金、ないだろ」

 貯金が底を突いて帰ってきたのだから、たしかに金はなかった。そこで提案されたのが、「12万円で世界を歩く」というグラビアページの企画だった。森氏は当時、『週刊朝日』のグラビアページ担当になっていた。なぜ12万円かというと、月に1万円ずつ貯めて年に1回、海外旅行に出るシナリオを伝えられた。だが後でわかったことだが、当時の『週刊朝日』のグラビアページが使える経費が12万円というだけのことだった。

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海外の旅行の仕事は受けてはいけない