■阪神タイガース外野手の池田純一
その日本人選手は阪神タイガース外野手の池田純一(1971~76年の登録名は祥浩)。とにかくチャンスに抜群に強い左打ちのスラッガーだった。実働は13年で80本塁打、打率は.241に過ぎないが、記憶に残る選手で、よく新聞の見出しになった。70年に史上3人目の代打サヨナラ満塁本塁打を放つなど、生涯に5本のサヨナラ本塁打を打っていることが彼の凄さを物語る。72年のオールスターゲーム第3戦では決勝打を放ち、MVPにもなった。
そんな彼の運命を変えてしまったのは、1973年8月5日の甲子園球場で行われた阪神対巨人戦だった。9回表、阪神は2対1とリードし、巨人の攻撃も二死一、三塁と勝利まであと一人という場面を迎えた。
マウンドにはエースの江夏豊がいた。打席の黒江透修の打球はセンターを守る池田の正面に飛んだ。ところが彼はその場で滑って、尻もちをついてしまった。
打球は彼の頭上を越えて転々と転がり、二人の走者は生還し、巨人が逆転した。池田は茫然自失となって立ちあがれなかった。捕手の田淵幸一はミットを地面に叩きつけ、江夏もただセンターを見ていた。その裏、阪神の反撃は及ばず、巨人が勝利した。痛いエラー(記録は三塁打)だったが、このとき新聞には<巨人はラッキーな勝ちを得た>と書かれた程度で、大きく非難されることはなかった。
この年の阪神と巨人の優勝争いは、最終試合の直接対決で勝った方が優勝という劇的な展開になった。この試合で巨人が9対0と勝利して優勝を決めた。巨人とのゲーム差は0.5、僅差で阪神は優勝を逃した。
すると突然、池田に対して猛烈な攻撃がオフになって始まった。
きっかけはある人気番組の著名な司会者の一言であった。彼は不用意に「池田のエラーがなければ、阪神は優勝できたよ」とテレビで話した。その一言にマスコミが飛びついた。いつしか「世紀のエラーを演じた男」と呼ばれ、戦犯にされてしまった。