JR軽井沢駅の観光案内を眺めていると、突然現れた「新宿」という文字に目を疑った。中軽井沢の駅前にある、新宿の文字を冠したそのお店は「新宿スカラ座」という喫茶店。かつて歌舞伎町のコマ劇場近くに店を構え、ツタの絡まる外観やレンガ造りの暖炉、薄暗い店内やゴシック調の制服に身を包んだ店員の雰囲気、そして100人以上収容可能というその広さが魅力だった喫茶店の名前が、なぜか軽井沢の案内板に書かれていたのだ。
少し怪しげなたたずまいと歌舞伎町という立地が合っていたのか、スカラ座は魔力のような吸引力を持っていた。コマ劇場での出演を終えた役者の市原悦子や、新宿で打ち合わせをする作家の向田邦子がスカラ座で時を過ごした。クラシカルな内装と薄暗い独特の雰囲気が好まれ、映画のロケにもたびたび使われた。17年前に営業を終了したが、閉店当日は名残惜しむお客さんたちが押し寄せ、その様子がテレビで放送されたこともあった。
あのスカラ座なのか?半信半疑で案内図を頼りに中軽井沢の店に向かった。出迎えてくれたのは林岱山(はやし・だいさん)さん(71)。歌舞伎町にあった店の最後のオーナーその人だった。林さんは歌舞伎町の店を閉めたのち、土地の権利を持っていた新宿西口の小田急エース内で同じ店名で規模を縮小して営業を再開した。しかし林さんの体調悪化もあって西口の店を閉め、軽井沢へ隠居することとなる。ところが転居後、あまりに何もない毎日に「これではボケてしまう」と、体調に支障のない範囲での店の再開を決めたという。
林さんに、スカラ座を通して見た「歌舞伎町の昭和と平成」を聞いた。
■最初は「名曲喫茶」として始まった
戦後から10年近く経った昭和29年(1954年)にスカラ座は産声を上げている。
「あのお店は父親が戦後、新宿西口で生糸や衣類を売る商売を起こして財を成し、歌舞伎町の土地を買ってオープンしたのが始まりでした。100台のスピーカーや豪華なシャンデリア、レンガ造りの暖炉と、ほとんど父の道楽のような店でした。最初はクラシック音楽を聴きに来る『名曲喫茶』として始まっています。私は寿司職人として家を出て、新宿に自分の店を出していたのですが、40歳を過ぎた昭和60年前後に父親に請われ、スカラ座を手伝うようになりました」