ZARDの坂井泉水さんが亡くなって、12年がたった。平成19年5月27日、40歳で死去。前日、ガン治療のため入院中だった病院内のスロープから転落して、脳挫傷を負い、そのまま息をひきとった。
その作品は今も多くの人に愛されている。代表作「負けないで」は「24時間テレビ」(日本テレビ系)のマラソンや高校野球の応援歌として定番化。今年4月には「ZARDよ永遠なれ 坂井泉水の歌はこう生まれた」(NHKBSプレミアム)が放送された。
このドキュメンタリーでは、彼女が作詞をするために書き溜めていた膨大なメモの一部が紹介され、「負けないで」の「視線がぶつかる」「走りぬけて」といったフレーズがそれぞれ「目と目が合った様な」「あきらめないで」からギリギリで書き改められた話などが明かされた。そこには恋のときめきや不安に人一倍敏感で、それをひたむきに言葉で表現しようとしていた王朝歌人のような姿が浮き彫りにされていた。
ただ生前、メディアにほとんど登場しなかったこともあって、その魅力の源泉はまだベールにつつまれている。たとえば、故・テレサ・テンさんとの不思議な縁などもあまり語られないことのひとつだ。その話をする前に、彼女がZARDになるまでのキャリアを見ておくとしよう。
■「最強の二番手」としてのスタート
坂井泉水こと蒲池幸子(本名)は、子供の頃から歌が好きで、ピンクレディーや松田聖子、河合奈保子をマネしたりしていた。部活は陸上やテニスで活躍、高校の文化祭では「ミス」にも選ばれている。短大卒業後、バブル景気を謳歌していた第一不動産に就職するが、街でスカウトされたのを機に芸能活動を始め、約2年で退社した。
その後、東映カラオケクイーンに選ばれてカラオケビデオに出演したり、岡本夏生らとレースクイーンをやったりしたものの、目標はあくまでも歌手。ドラマやバラエティのちょい役をこなしたり、セミヌード写真集を出したりしながら、チャンスをうかがった。そんななか、大きな転機が訪れる。23歳のとき、B.Bクィーンズのコーラスメンバーを決めるオーディションに挑戦、ビーイングの総帥・長戸大幸に認められたのだ。