安田女子大(1966 年、広島)の歴史をさかのぼると、1915 (大正4)年開校の広島技芸女学校にたどり着く。設立者は安田リヨウ。「女性のために教育の場を」という熱い思いを抱いていた。戦争中は苦難の道を歩み、「学園は世界で最初の原子爆弾によって破壊され、安田五一初代理事長をはじめとして多くの犠牲者を出しましたが、惨禍に志を曲げることなく、残された教職員そして学生は自ら額に汗して、復興に取り組み、建学の理念を守り今にいたっています」(大学ウェブサイト)。
1970年代、医科大が相次いで開校するなか、創設者名を冠した大学が登場した。
川崎医科大(1970年、岡山)の創設者は、岡山市内で病院を経営していた川崎祐宣氏である。旧制岡山医科大学(現・岡山大医学部)出身の医師で、「真に医師といわれるにふさわしい臨床家を養成して世に送りだしたい」(川崎学園ウェブサイト)という思いから、医科大学をつくった。
藤田医科大(1968年、愛知)の起源は、看護師・臨床検査技師を養成する南愛知准看護学校である。1964(昭和39)年、名古屋帝国大医学部出身の医師、藤田啓介氏によって設立された。1966年、名古屋衛生技術短期大開学。そして、1968年に名古屋保健衛生大が開学し、1972年に医学部設置。1984年に藤田学園保健衛生大、1991年に藤田保健衛生大、2018年になって藤田医科大に改称した。
昭和後期から平成にかけて誕生した大学にも創設者名が付くケースは見られるが、その多くは、すでに短大、高校を運営しており、校名はよく知られていた。
川村学園女子大(1988年、千葉)の起源は大正時代にさかのぼる。現・川村正澄理事長はこう紹介している。「創立者川村文子は、関東大震災後の荒廃した社会をわが国の『非常』の時ととらえ、その解決のために女性の力(活躍)が不可欠であるという強い信念を持って、大正13年(1924年)に川村女学院を創設しました。以後、『感謝の心』を基盤に『女性の自覚』を育む一貫教育を施し、そこから『奉仕の精神』を実践できる女性を育成してまいりました」(川村学園ウェブサイト)
十文字学園女子大(1996年、埼玉)の事始めも大正時代。十文字ことら3人が設立した文華高等女学校である。1966年に十文字学園女子短期大が開学。大学の沿革にこう記されている。「十文字学園は、創立者である“十文字こと”の、『教育を受けたいと思う女性がひとりでも多く学べる私立学校をつくりたい』という強い願いのもと、1922(大正11)年に設立されました」(大学ウェブサイト)
21世紀に開学した大学にも、明治時代の教育者の名を冠したところがある。
嘉悦大(2001年、東京)の起源は私立女子商業学校である。1903(明治36)年に開校。創設者は嘉悦孝である。「日本で初めて女子を対象とした商業学校」(大学ウェブサイト)だった。その教育理念は、大正時代に日本女子商業学校、戦後は日本女子経済短期大へと引き継がれた。
植草学園大(2008年、千葉)のルーツ校も明治生まれだ。1904(明治37)年に植草竹子が現在の千葉市内に「千葉和洋裁縫女学校」を設立する。その後、1世紀以上の時を経て、四年制大学が開学した。