右から)新しいデザインの千円札、5千円札、1万円札のイメージ図(c)朝日新聞社
右から)新しいデザインの千円札、5千円札、1万円札のイメージ図(c)朝日新聞社
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 津田塾大、北里大の関係者は盛り上がっている。大学にゆかりのある津田梅子、北里柴三郎が、新紙幣の肖像画に描かれることになったからだ。

 五千円札で描かれる津田は、1900(明治33)年、女子英学塾を開校している。1871(明治4)年、6歳でアメリカに渡り、17歳で帰国して女子の高等教育の発展に尽力した。

 千円札に登場する北里は、1914(大正3)年に北里研究所を設立した。1962(昭和37)年、北里を「学祖と仰ぎ」、北里大が開学する。

 いずれも大学の起源となる教育、研究機関の創設者名が、大学名に付けられた。ここには創設者に対する最大の敬意が払われている。

 大学名に創設者の名が付されているところがいくつかある。紹介しよう(カッコ内は大学開学年、所在地)。

 大妻女子大(1949年、東京)の起源は、明治時代までさかのぼる。1908(明治41)年、大妻コタカが24歳のときに開いた裁縫、手芸の私塾だ。その後、大正時代になって大妻技芸伝習所を設置する。現在の大妻女子大の伊藤正直学長は、2019年の入学式の式辞で創設者をこう説明している。

「コタカは、不況の中で苦しんでいる普通の家庭、何ら特別でない普通の女性が、社会の中できちんとした生活を営むにはどうしたらよいか、そして普通の女性が社会的に自立するとはどういうことか、そうしたことを考え続けて、大妻技芸学校の設立を決意したのです」

 椙山女学園大(1949年、愛知)の歴史も古く、1世紀を超える。1905(明治38)年、椙山正弌(すぎやま・まさかず)、いま夫妻が開校した名古屋裁縫女学校を起源とする。椙山正弌は、東京裁縫女学校(現・東京家政大)で特別に校長の門下生として学び、教員免許を取得する。同校でのちに妻となる、いまと知り合い、夫婦で協力して学校づくりに力を入れた。大正時代に入ると椙山高等女学校に発展させ、戦後は新制大学スタートとともに四年制大学となった。

 星薬科大(1950年、東京)の前身は、星製薬株式会社に設置した教育部門である。1911(明治44)年のことだ。のちに星製薬商業学校、星薬学専門学校となり、戦後は四年制大学として認可された。星製薬の創業者で大学初代理事長は、星一氏。作家、星新一氏の父にあたる。

 杉野服飾大(1964年、東京)は、服飾家の杉野芳子が設立したドレスメーカー女学院が起源となっている。1926(大正15)年。大学のウェブサイトによれば、杉野は「自身が考案したドレメ式原型による服飾教育を展開しました。家庭洋裁の盛行の時代であった昭和30年代後半には、ドレメの卒業生により設立された系列校が全国で700校を超えるまでになりました」。2002年に杉野女子大から現校名に改称して男女共学となった。

 跡見学園女子大(1965年、東京)は、私塾で書画や漢学を教えていた跡見花蹊(あとみ・かけい)によって設立された跡見学校を起源とする。1875(明治8)年のことだ。跡見学園の沿革には「日本人による初めての私立女子校として誕生」とある。

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