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「安倍寛(あべかん)」という政治家をご存じだろうか。庶民目線の政治家として、道理を外した権力の専横にあらがい、戦時中に反戦を唱え、没後70年を経たいまも地元の人々に慕われ続けるこの人物こそ、安倍晋三首相の父方の祖父である。その志を継ぎ、リベラル保守の政治家として外相も務めたのが、息子の安倍晋太郎。優れたバランス感覚をもち、「オレのオヤジは大したやつで」が口癖だった晋太郎は、終生、寛の息子であることを誇りにしていた。
安倍首相は子供のころ、「晋太郎の息子」ではなく、「岸の孫」と自己紹介していたそうだが、母方の祖父・岸信介への敬愛の念をあらわにする一方、岸と同じく国会議員であった安倍寛については、ほとんど触れることがない。
語られることなき、安倍首相の父方の系譜をたどるルポルタージュ『安倍三代』(青木理著)がこの春、文庫化された。著者が丹念に周辺取材を重ねるなかで浮かびあがってきたものとは――。本書に寄せられた中島岳志(東京工業大学教授)の解説を公開したい。
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安倍晋三という政治家の特徴は、その右派イデオロギーにある。これまで度々、右派論壇に登場し、断罪口調の左翼批判や偏った歴史認識を展開してきた。第2次政権発足から1年後の2013年12月26日には、靖国神社を参拝し、「内閣総理大臣 安倍晋三」の名前で献花した。2015年2月19日の衆議院予算委員会では、民主党議員が質問している最中に、唐突に「日教組どうするの!」などと野次を飛ばし、批判を受けた。
首相になっても露呈する右派イデオロギー。彼はいつから、このような思想を抱くようになったのか。そのきっかけや原因は何だったのか。
実は、この問いに対して正確に答えることは難しい。国会議員になる前の発言や思想信条は、ほとんど文章として残っておらず、どのような考えを持っていたのかが判然としないのだ。
本書はこの謎に、父子関係の問題から迫る。
父・安倍晋太郎は、言わずと知れた自民党重鎮の政治家で、保守でありながらリベラルな姿勢を貫いた。その政治姿勢は地元の在日コリアンにも受け入れられ、幅広い信頼と共感を獲得した。著者の青木曰く、晋太郎には「息子・晋三とは明らかに異なる『異端者=マイノリティー』への配慮の眼差し」があり、「決して極端に偏らない政治的なバランス感覚」や「狭量や独善に陥らない懐の深さ」があった。
平和憲法についても擁護する姿勢を示していた。晋太郎を慕って中央政界入りした武村正義は、「基本的にリベラルな方」で「正真正銘のハト派だった」と述べている。
一方、政治活動に忙殺されていた晋太郎は、家を空けることが多く、子供との関わりが少なかった。1954年に次男として生まれた晋三は、「物心ついてから父に遊んでもらったという記憶がほとんどない」と回想している。小学校から大学まで成蹊学園に通った晋三は、家の近所に同世代の友人がほとんどおらず、兄や家庭教師、乳母役の女性と遊ぶことが多かった。