■日本ハム:ヒルマン監督

 平成の時代は、ファイターズにとっても激動の30年だった。前半は苦悩の日々。近藤貞雄(1989~1991年)、土橋正幸(1992年)、大沢啓二(1993~1994年)、上田利治(1995~1999年)、大島康徳(2000~2002年)の14年間でAクラス入りは4度のみと低迷した。しかし、トレイ・ヒルマン(2003年~2007年)が就任して新たな風が吹き、北海道に移転した2004年からは一気に上昇気流に乗り、数年毎にリーグ優勝を果たしている。

 梨田昌孝(2008~2011年)、栗山英樹(2012年~)もチームをリーグ優勝に導き、特に栗山監督のチーム作りは賞賛されるべきだが、それでもヒルマン監督の手腕を評価したい。米マイナーでの監督の実績を買われ、球団史上初の外国人監督として来日すると、自らの考えを無理に押し付けることはせず、「郷に入れば~」の精神で日本式の采配を展開。「シンジラレナ~イ!」と自らチームを盛り上げ、2006年、2007年と球団唯一のリーグ連覇を成し遂げた。北海道移転を成功させた点も加味して“ベスト”としたい。

オリックス:仰木彬監督

 常に優勝争いを繰り広げていた1990年代がオリックスの黄金期だ。上田利治(1981年~1990年)から土井正三(1991~1993年)を経て仰木彬(1994~2001年)監督がチームを率いると、震災に遭った1995年に「がんばろうKOBE」を合言葉に見事にリーグ優勝を達成。翌1996年もリーグ制覇を果たし、19年ぶりの日本一に輝いた。その栄光の中で仰木監督の存在は大きく、破天荒ながら人間力溢れる人身把握術と「仰木マジック」と呼ばれた采配でチームを勝利に導いた手腕は、時代を超えて語り継がれるものだ。

 その後、石毛宏典(2002~2003年)、レオン・リー(2003年)、伊原春樹(2004年)、さらに球団合併から再登板した仰木彬(2005年)を経て、中村勝広(2006年)、テリー・コリンズ(2007~2008年)、大石大二郎(2008~2009年)、岡田彰布(2010~2012年)、森脇浩司(2013~2015年)、福良淳一(2016~2018年)、そして今季の西村徳文監督と続いたが、その間2位が2度あるのみで優勝から遠ざかっており、その意味でも仰木監督の功績が際立っている。加えて、近鉄球団にとっても仰木氏は間違いなく“平成のベスト監督”だったことを付け加えておきたい。

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楽天は日本一に導いたあの名将