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災害・事故・別離、「ひとり」に耐えて生きぬくにはどうしたらいいのでしょうか。
宗教学者で、上智大学グリーフケア研究所所長でもある島薗進さんの著書『ともに悲嘆を生きる グリーフケアの歴史と文化』(朝日選書)は、宗教、物語、悲嘆と望郷の「うた」を歴史的にとらえかえす、「グリーフケア」の基本図書です。島薗さんが現場との対話をかさねながら考察した、「悲嘆」との付き合い方について、ご寄稿くださいました。
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■医療やケアとスピリチュアリティの間
私は大学で医学から宗教学へと転じたということもあって、医療やケアとスピリチュアリティの交錯する領域に関心をもってきた。2003年には『<癒す知>の系譜』(吉川弘文館)という書物をまとめた。この本では病を癒したり、健康を保ったり、増進したりという関心からスピリチュアリティに関わる「知の系譜」について考えてみた。
いのちが痛んでいる状態から人は脱したい。辛さや苦しさがなくなるか、小さくなってほしい。より元気に、より幸せになりたい。そのために力を尽くすのが、医療や保健や介護の役割だろう。だが、健康や幸福を実現するために、科学を超えた領域との関わりが必要だと信じる人は多い。そこで宗教やスピリチュアリティが求められる。宗教やスピリチュアリティを通して癒しを得る。これが強く求められる時期があった。
1980年代は癒しに強い関心が寄せられた時期だった。気功が大いに関心を集め、日本人体科学会が生まれた。河合隼雄やユングの心理学、トランスパーソナル心理学、またシュタイナー教育の紹介書がよく読まれた。代替医療や統合医療という言葉が知られるようになり、西洋医学とは異なる癒しの技法を学ぶ人が増えた。からだだけ、またからだの一部だけを治療するのではなく、いのちの全体をケアするホリスティック医療、統合医療の学会なども動き始めた。
1980年代から90年代にかけて、新たに注目されるようになった<医療やケアとスピリチュアリティの間>というと、まずは前述のような事柄が思い起こされる。この分野を指すのに、「精神世界」や「霊性」、さらには「スピリチュアリティ」という用語が用いられた。これらは今も継続している。私は「新しいスピリチュアリティ」とか、「新霊性文化」とよんできた。