がんとわかって1年目は、患者会にも何度か参加しました。「自分ひとりじゃない」「話をして救われた」という人も、おそらくたくさんいらっしゃるのでしょう。けれど、これはあくまでも私の個人的な感想ですが、自分にはあまり必要がないと思いました。

 たとえば年配の女性患者さんに「私は転移があってこの治療を受けられない。あなたは転移していないから受けられますね、いいなぁ」といわれたとします。私たちにとって現状はちっともよくないので、なんの慰めにもなりません。だけどその女性にとっても悩みは深いんですよね。どっちがより深刻だとか軽いとか優劣をつけられるものではありません。ひとりひとりが自分の悩みを一番の悩みとして、悩んでいる。私にとって患者会は、そのことがよくわかった場所でした。誰かと比較してもしょうがない、自分の気持ちだけを信じ、貫いていこうと思いました。

 また、ある人に「いまは夫のことが優先なので、職場に出張は免除してもらっている」と話したところ、「うちの会社でも、子どもが小さいから出張を免除されている人がいるよ」といわれたことがあります。出張にいかない、というのは同じでも、小さな子どもがいるのと、難治がんの夫がいるのとではわけが違います。一緒にしないでほしいという気持ちを抑えるのに苦労しました。

 私にも、話し相手はいます。ひとりは、現在がんの治療をしている友人。私は患者自身の気持ちが知りたいし、彼女は私にがん患者の家族の想いを聞きたいので、よく話をします。もうひとりは、私の妹です。私たちの背景などもよく知っているので、話しやすいのです。

 家族が、がんになったとき。私はエキスパートでもなんでもないので特にアドバイスなどはできませんが、ひとつ気づいたことがあります。それは、こちらからお願いすれば周囲の人はいろいろと手を差し伸べてくれるということ。野上の友だちや学生時代の先輩、後輩、職場の方々、相談をするとみなさん親身になって応えてくれました。こんなこといったら迷惑かしら? と思うようなことも受け入れてくれたのです。残念な対応をされる場合もあるにはあるのですが、あたたかい対応をされることのほうがずっと多かったので、本当にありがたいと思いました。

著者プロフィールを見る
野上祐

野上祐

野上祐(のがみ・ゆう)/1972年生まれ。96年に朝日新聞に入り、仙台支局、沼津支局、名古屋社会部を経て政治部に。福島総局で次長(デスク)として働いていた2016年1月、がんの疑いを指摘され、翌月手術。現在は闘病中

野上祐の記事一覧はこちら